ようわからん

 『永遠の0』が戦争礼賛で、『風立ちぬ』が反戦。という批評をいまだに目にするけれど、どうしてそうなるのかがわからん。作者で判断してないか? ちゃんと作品鑑賞したんか? と、つい思ってしまう。確かに、百田氏はアベソーリのお友達だし、おみやさんは明確に反原発を唱える人だ。
 真実に基づいて書かれているかという観点では両作ともそうではなかろう。ゼロ戦好きの方から見れば両作とも喰い足らなかろう。「どんな言論にも発信者の真意が潜む」というのも真理かもしれないので、そういう痕跡を探すのも面白いかもしれない。でも、前もって特定の何かを期待して作品に当たり、その色眼鏡での判断ありきで終始してしまうのも、逆に期待していたものがなかったからといって駄作と断じてしまうのも、作品鑑賞の態度として優れているとは思わない。作品にどんな側面を見出すかも、何によって可否を決めるかも優れて個人的なものであって、そこを人から強制されるいわれはないので、どう思うかは自由なのだけれど。その判断を客観的なものと考えたらアカンと思うし、ましてや人に(作者も含めて)押し付けるのもアカンと思う。自分にとっての好き・嫌いにとどめていればいいのに。

 そのリクツでいうと、以前宮さんが明らかに『永遠の0』を指してハデに嫌悪表明していたあの態度も大人げないと思います。きっとロクに作品読まずに言ってはったと思う。まあ、極端な発言って、面白いけど。