創作への憧れ

 若い頃には、小説や詩のまね事をよくした。小さい頃には漫画のまね事もしたし、学生になると「映画を撮りたい」という思いも強かった。とにかく、創作への憧れはずっとあった。
 大学生の時に同期で年上の友人たちから散々に叩かれて、自分には文才も創造的資質もないことをイヤというほど思い知らされた。「ない」どころか、むしろ並以下だという現実を突き付けられた。そのおかげで、文章は気取りを捨て、少しでもわかりやすくするよう心掛けるようになった。それでも未だに元々の悪い癖は油断するとすぐ顔を出す。
 大学を卒業して非常勤講師を経て採用試験に受かってから、再び年一作小説を書いて共同で自費出版をするようになったのは、きっかけは誘われたからだけれど、何より下手でも「書きたい」という強い思いがあったから。やりたければ、やる意味はあると思ったから。
 今は創作は全くしていない。ただこうしてしょっちゅう、やたら長文の作文をすることは変わらない。思いを文章にしてみることの大切さを知っているからだし、それを読んで意見をくれる貴重な存在もあるから。でも、少なくとも今は創作に携わろうという気持ちは起こらない。
 こういう仕事をしているので、身近にはいつも才気走った若者はいて、創作の面白さという刺激を与えてくれる。きっと、いつかまた「書いてみたい!」という思いは頭をもたげるだろうという予感はある。ただ、今ではない。
 書いているときはあんなに苦しいのに。ちっとも思い通りにならなくて。延々と時間が過ぎ、煩悶の格闘がつづき、書きあがってしまうと、もう読み返すこともできなくなるのに。創作への憧れそのものは、消えることはない。
 「小説を書かないんですか」と問われたので、改めてちょっと振り返ってみました。同じようなこと、何度も喋ったり書いたりしたことあったと思いますけれど。