あしたのジョー 原作読破→「ジョー2」テレビ版・劇場版 (3)「ジョー2」テレビ版と劇場版

 劇場版はこれまでに何度も観ている。対してテレビ版は、今回本放送以来初めて見直した。ところが、一回しか観ていないとは思えないほど細部をよく記憶しており、また思い出し、いかにこの番組が好きだったかということをまざまざと感じ直した次第である。
 劇場版「2」は大変良く構成されていると思う(順番や場面の位置付けを再構成し台詞も変え、ある場面は劇場版だれでテレビ版にはなかった部分もある)が、いかんせん長いストーリーを2時間未満に押し込んでいるため、やはりダイジェスト版という印象を拭いきれない。特にカーロス戦や金龍飛戦などはごっそりおいしいところが抜け落ちてしまったという観を否めない。個人的に好きな場面や台詞がカットされていて寂しい思いもした。その代わり声優が豪華で演出もスタイリッシュなので、どっちの方がいい、と軍配を上げるのが難しい。
 はっきりと劇場版のほうがいいと感じるのは白木葉子で、こちらの方があたたかみ、ふくらみがあると思う。テレビ版の硬質な感じもキャラクターの特質を表現しているとは思うのだが。殊に、ジョーに告白する場面、そして終盤、一度は凄惨な試合に逃げ出しそうになりながら、ハラを括って試合会場に戻った後で、ジョーに泣きながらエールを送る姿。「わたし見ている」、あの台詞にまた泣いた。最後は葉子が応援してくれていたおかげでジョーは頑張り通せた、とさえ見れないことはないのでは? それがラストの、血染めのグローブを葉子に「あんたに貰って欲しいんだ」とジョーに言わしめる展開に続くのだと思う。
 逆に紀子はテレビ版が好き。正直声優さんの演技は上手とは言えず、そこは劇場版の方が明らかに上手だとは思うのだが、そのぎこちなさが紀子の良さに繋がって感じる。こんな話をするとキリがないが、もう一点、具体的にテレビ版の方が好きな場面を挙げる。それは物語冒頭の、帰ってきたジョーが力石の墓参りをしたときに、偶然葉子と出会った場面でのやりとり。劇場版では、
葉子「今まで、どこへ?」
ジョー「さあな。覚えてねえ。ただ、もう一度リングへ・・・・ という思いだけが残った」(大体を記憶で書いてます。厳密ではないです)
これがテレビのときは、
葉子「ありがとう。力石くんに代わってお礼を言うわ」
ジョー「よしなよ。おっ死んじまっても自分のもんだと思ってるのかい?」
だった。
 どうです? テレビ版の方が、ジョーらしい、葉子らしい、と思いませんか? 映画の方は次の場面でジョーの再起戦の場面につなぐための必然的な台詞になっているので、流れとして仕方がないとは判っているのだが。
 カーロスもテレビ版が好きだ。カーロスと言えばテレビ「1」でも登場していたので、これも今の目で見直したいなあ、と思う。かすかな記憶では、「1」ではカーロスはジョーと対等な力量として描かれていたのではなかったか? ジョーが自分を取り戻す、という意味ではそれでいいのだとは思うのだが・・・・。カーロスの力量で言うとその強さは
 原作>テレビ2>テレビ1 
 となると思う。原作のカーロスは本当に底の知れない強さの持ち主だった。それゆえ、ホセがあっさりノックアウトしたという報が信じがたいものになった。また、ジョーが純粋に「とにかく俺は強いやつと戦うのが嬉しいんだ!」という熱い想いがガンガン伝わってきて、観ている方もやたらめったらと燃えたのだ。
 本当に、こうなるとテレビ1が見直したくなる。劇場版1は手元にあるので、実は今回原作を読破した後、テレビ2に進む前に劇場版1を観ようとしたのだが、40分くらいで観るのをやめてしまったのだった。劇場版1はアニメ映画としては長尺の150分強の長さのある作品だが、それでも前半ジョーがボクシングに、そして力石にのめりこんで行くその必然性みたいなものが、このダイジェストの劇場映画では全然感じられなくて、こりゃダメだ、と思ってしまったから。じっくり描いた(もひとつ言うと出崎統氏が演出した)テレビ版で、見直したい。つくづくそう思う。

 本当に長くなりました。もうこれで区切りとします。
あしたのジョー」の話は尽きない。まだこれからも時を置いて何度も読み返し、見返して行きたいし、その時々に違った感動を得られる作品だと確信せずにはいられない。

原作にもテレビ版にも劇場版にもある名シーンの、これは劇場版