いきなりクソ真面目

「消費崩壊 若者はナゼ買わない」http://money.jp.msn.com/newsarticle.aspx?ac=JC65374&cc=06&nt=00

 日本人の性向として「周りに合わせる」というものがあり、バブル期のような時には無理をしてでもブランド品を買ったが、今の若者は「周りが買わないから自分も買わない」となっている。という分析は、その通りなのだろうなあと思います。が、そこから出された結論が、「消費が美徳」「お金を使った方が得」という教育力に期待。というのには首肯しかねます。
 もちろん資本主義経済である以上、みんなが適度に消費することが経済を回すということは判っています。しかし、だからと言って「消費が美徳」という価値観を植えつけるべきという発想は、どこまでも財界寄りの視線からのものであり、とうてい一般生活者の立場に立ったものとは考えられません。消費を牽引すべく発生した果てしない「値引き合戦」も、結局一部特定企業の独り勝ち状態を生んだだけで、あとはひたすら下請け孫請けへのしわ寄せと、小売店の我慢の限界を超えたやせ我慢を強いることにしかならず、「安い買い物ができてトク」というベールの下で、結局広範囲に人々の首をじわじわ締め付ける状況を生み出してしまったわけでしょう。これを世間で「デフレスパイラル」と呼んでるのでしょうが。
 そもそも、消費しないと国が伸びないという(大原則のように思われているけれど)、そういう構造自体が異様でしょう? いまの日本を取り巻く様々な社会問題は、殊に若者の問題、無気力化や学力の低下、果てはいじめの問題に至るまで、その病根は、80年代中曽根政権下の「消費が美徳」政策にある、という研究があります。外圧から「輸入品を国民に買わせなければいけない」というところに端を発するのですが。結局これが、「もったいない」を死語とさせ、労働や勤勉を美徳とする戦後復興の起爆剤となった日本人の意識を180度転換させ、ひたすら社会の閉塞状況を消費することでしか突破できない「世界を喰い潰す国家」というバケモノを生み出すきっかけとなった。というものです。この分析には説得力があると思います。
 であるならば、・・・・日本人の内向きの性向云々はまた別の問題として・・・・またぞろ「消費は美徳」などという価値観を以って洗脳をするということが、今の日本社会を活性化に向かわせる切り札になるとは到底思えません。むしろ更なる泥沼に踏み込むことになりはしないでしょうか? 
 国土も資源も自前では世界と勝負できない国が、世界の中で一体どうすれば発展を続け、敬意を集めることができるか? そう考えたとき、正に教育の負うべき責任こそが重大であることは言うまでもありません。しかし、それは間違っても「消費は美徳」などというイカレた教育ではあってはならないと思うのです。