志賀直哉の城崎

 小説『城の崎にて』に次のような一節があります。

 「或夕方、町から小川に沿うて独り段々上へ歩いていった。山陰線の隧道の前で線路を越すと道幅が狭くなって路も急になる、流れも同様に急になって、人家も全く見えなくなった。もう帰ろうと思いながら、あの見える所までという風に角を一つ一つ先へ先へと歩いて行った。物が総て青白く、空気の肌ざわりも冷々として、物静かさが却って何となく自分をそわそわとさせた。大きな桑の木が路傍にある。彼方の、路へ差し出した桑の枝で、或一つの葉だけがヒラヒラヒラヒラ、同じリズムで動いている。風もなく流れの他は総て静寂の中にその葉だけがいつまでもヒラヒラヒラヒラと忙しく動くのが見えた。自分は不思議に思った。多少怖い気もした。然し好奇心もあった。自分は下へいってそれを暫く見上げていた。すると風が吹いて来た。そうしたらその動く葉は動かなくなった。原因は知れた。何かでこういう場合を自分はもっと知っていたと思った。」

 例の、いもりを殺してしまう場面に至る直前です。
 二日目の宿招月庭が温泉街の西端で、そこを更に行くと、この桑の木があるらしいので(但し、二代目だそうですが)、行ってみました。門先に宿の方がふたり立っていて、「なんにもない処ですが」と、歩いて十五分くらいのところだと教えてくれました。そう、何もない処を指して行くのです。
 結構な登りを二十分ほども歩いたところにそれはありました。いまもたった二両の鉄道が走っていました。自動車用の立派な舗装道路は当時はなかったでしょう。でも、途中には廃線になった鉄道トンネルもあり、すっかり歓楽地化した(もちろんそれでも風情ある素敵な町並みでしたけれど)この温泉地なあって、かろうじて当時の雰囲気を感じようと思えばこの辺りまで来るしかないのでしょう。
 妻には思いがけぬ遠道を歩かせましたが、意地で、かろうじて小説の空気に触れて来ました。