松本清張「疑惑」

 少し前にテレビドラマ化されたのを機に、原作文庫本やら過去の映画化作品のDVDが店頭に並んだ。僕は子どものときにテレビで映画を見たかすかな記憶があり、そのかすかな記憶に「面白かった」という印象が強烈だったので原作を買って読んでみた。すると記憶の中の映画と随分違ってびっくり。そこでDVDも買って映画を観てみて、これまた記憶通りのところと記憶と随分違うところとがあり、すごく面白かった。
 映画は原作小説が出てすぐに作られたもの。桃井かおり岩下志麻の主演。
 大金持ちとその妻が車ごと海に転落。老いた夫が死に、若い妻だけ助かった。後妻である元水商売の妻は前科持ちで夫に多額の保険金をかけており、これは保険金殺人であるとマスコミで大々的に報じられる。担当弁護士が体調の不安から事件を降り、世間の評判の著しく悪い容疑者に、後任の国選弁護人がなかなかつかない。やっと決まったのは、本来民事が専門の弁護士。事件を書き立てていた記者はこの国選弁護人は渋々引き受けただけでやっつけ仕事をするだろうと踏んでいたが・・・・。
 小説を読んでまずびっくりしたのは、映画の記憶で鮮烈だった、岩下志麻が演じた国選弁護人がなんと原作では男性であったこと。そして、原作自体が大変短い、薄い文庫本半分の量しかない作品だったということ。じゃんじゃんページをめくって行ってたら、「え、終わっちゃったよ」という感じ。もちろん話がつまらなかった訳ではなく、あまりに記憶の印象と違ったから。
 原作で最後に推理される「事の真相」は、映画でもそのまま骨格として生きており、改変はされていない。しかし原作者自身が脚色に加わった映画では、弁護人を女性に改変させこの弁護人にも、桃井かおり演じた容疑者の女にもそれぞれ背景を与えたことにより、生き方の違う二人の女の心理的な葛藤の物語になっていた。最近のドラマや映画でもよく中心人物を男から女に置き換えるという手法は取られているが、その多くが単なる客寄せのアイデアに終始しているのとは根本的に違い、この女同士のドラマに置き換えたことで映画は深みを増し、後々に残る名作になったと思う。またキャスティングも絶妙。個人的には桃井かおり岩下志麻も好きな俳優ではないが、この映画ではこのキャスティングしかありえないと思わせる。今でも岩下志麻の方には違うキャストが立つけれど、桃井かおりの方はちょっと思いつかない。
 原作小説はその後二度ほどテレビドラマ化されているらしい。一度は(これは原作のスタンス通り)記事を書きたてた新聞記者の視点から描いたものらしい。佐藤浩市がキャスティングされていた。そしてこの度のドラマでは田村正和が国選弁護人を、沢口靖子が容疑者の女を、室井滋が記者を演じている。また映画で検察人を演じていた小林稔侍がこちらでは事故で死ぬ夫を演じているというのがなかなかニクいキャスティング。こちらは容疑者の女に映画とはまた違う「見えざる過去」「見えざる一面」を与え、映画とは違う結末を与えていると聞く。観てみたい興味に駆られる。
 しかしこのように全く違うドラマに何度も作り上げられるというのは、原作がシンプルであり、それでいてそれぞれの登場人物に見えざる側面があることを読者に想像させる懐の深さを持っているからだろう。これまた名作と言われる所以である。