『明暗』とその後 2

 水村美苗の超力作『続・明暗』を読みました。
 まったく違和感のない文体です。(『明暗』に特徴的な「〜た」体ではなかったですが。)一方でテンポアップが図られて、没頭させられました。そして清子がリアリティを持って描かれ、彼女が津田から去った理由が大変納得させられました。これはすごい作品です。デビュー作でしょう? 本当に信じがたい。
 その高揚をもって更に熊倉千之『漱石のたくらみ』も読みました。明暗の結末を論じた著作です。氏は、漱石が残した部分から結末はほぼ完全に推測することができるとし、それは読み違える余地がないと断言しています。(余計な話になりますが、この明暗の結末について論じているたくさんの方々は、決まって自信たっぷりなんですね。これ以外の読みはあり得ない、という姿勢が共通していて・・・・しかし当然みなさん仰っていることは全然違うので、面白いなあと思います。)
 本著によれば前述『続・明暗』も大変な労作としながらも完全な読み違えをしている、とします。緻密を極める読解で『明暗』を分析し、その目的と構造を明らかにしていきます。本文には単語ひとつの無駄もなく、その「漱石のたくらみ」から巧みに読者の目をくらましつつ描かれていたと謎解きしていきます。大変納得のいく分析です。なのですが・・・・。
 何故でしょうか。なにか、「好かない」。腑に落ちない。どうも根本的なところで強引なような気がするんですね。あくまで「気がする」だけで、全くこれに根拠はなく、完全にただの感情論なのですが。そして、「こんなに小説って、全て隅々まで『自分の事』なんだろうか」と思ってしまうのです。僕は別にテクスト論者ではありませんから、作品から作者を切り離すべきだなんて言うつもりはないんですが、ここまで自分の経験、自分自身のドッペルゲンガーで埋め尽くされているもんなんだろうか、と・・・・。国語科教員失格ですか?
 しかし、「こころ」の先生は何故死んだ? にせよ、明暗の結末にせよ、漱石が残してくれた謎は、まだまだ我々を人間探求の思索に誘い続けているのです。