座頭市の物語(3.バリエーションの誕生)

 これだけ長年に亘って培われたイメージがあるのだから、勝新太郎亡き後に新たに映画を作るのはさぞかしプレッシャーだったろうと今なら判る。しかしたけしは見事にやってのけた。「速い」「目にもとまらぬ」と言われた勝の居合いの、更に上をも行こうかというスピードと工夫で見事な殺陣を見せた。しかしと言うべきかやはりと言うべきか、旧作とは比較され、旧シリーズのファンからは評価はされなかったようだ。そして、案外なことにたけし版が嫌いだった人には綾瀬はるか版の「ICHI」には好意的だった人も少なくなかったようなのは面白い現象だろう。これは、「娯楽作に徹した」とは言えたけし映画にはやはりたけしの個性、あの「冷たさ」が刻み付けられていたからだろう。「ICHI」は人情味が前面に出されていたから、テイストとしてはむしろ旧シリーズに近かったのかもしれない。ただし、曽利監督(「ICHI」の監督)が新しい座頭市ものに踏み込めたのは明らかにたけしの実験が先にあったおかげであり、そこに更に「女版」という新味が企画されたからに他あるまい。いづれにせよ今やこわいものなく今後はどんどん新たな座頭市が生み出されるのではあるまいか。ここに話題にしなかったものとして他にも舞台や漫画で複数座頭市は描かれているようである。映画好きとしては、斬新で面白いものであれば大歓迎であって、間違っても「こんなのは、あの勝新太郎の名作に対する冒涜だ」などとつまらないことをぼやくつもりはない。
 実はこうした流れとは全く別に、小説に名作座頭市作品がある。それが、僕が生れる少し前に書かれた「新篇座頭市」である。作者は童門冬二座頭市生みの親である子母澤寛からお墨付きを貰ったという作品だ。これは、原作と映画第一作の世界を踏襲しつつオリジナルに構成し直したもの。原作に語られた市の哲学と人生観を見事に体現しながら、より劇的に、切なく、市と平手造酒(平田深喜)とのかかわりを描いていく。これは本当に見事で、旧作映画一本を観た後に負けない余韻を読後に長く引きずるだろう。「これを映画化したらいいのに」などと素人の僕は思わずにいらないが、かの勝新太郎は今やなく、今更違う主人公で名作の焼き直しなど誰が試みようか。読んだ者の中に名作が一本増えるということで充分だろう。それくらい、この小説は見事であると重ねて申し上げる。
 文章作品については、貴重な子母澤寛の原作掌編はエッセイ集「ふところ手帳」(中公文庫)に収録されているがこれは既に古本しかない。書店に並んでいるものとして座頭市もののアンソロジー「時代小説英雄列伝 座頭市」(中公文庫)というのがお得である。ここに原作が収録されているし、他に犬塚稔による映画第一作の脚本(実際に映画になったものと比べると差異もあり、比較すると興味深い)や、童門冬二の「新篇」から第二話「月を斬る座頭市」も収録されているから。そして童門冬二の「新篇座頭市」は時代小説文庫から出版されているので是非。