座頭市の物語(4.異形のヒーロー)

 座頭市の盲目に限らず、かつて人気を集めた時代劇ヒーローには何かしらハンディキャップを背負った者が多かったように思う。丹下左膳は隻眼隻腕。眠狂四郎は当時異端視された異国の血をひいた者。「子連れ」というのも戦闘においてはハンディになったろう。ハンディを負ったり蔑まれたりした「負の立場」の者がいざ剣を抜けば瞠目の活躍をし悪を斬る。結局これが庶民の代弁者として歓迎されたのだろう。
 市の魅力は、「みすぼらしい按摩」→「悪を斬る凄腕」というギャップ。(同じギャップでも水戸黄門や遠山の金さんなどと同じではない。あれらは真の姿を現せば実はそれは権力側の人間である。権力側の人間が血の通った人間らしい立場に立つので感動するのだが、異形のヒーロー達は本当に虐げられた者が見返すところが気持ちが良い。)更に加えて市にはユーモアと悲しみが背中合わせに住み着いている人間性があった。シリーズの始めから自身で自身を裏街道を歩く外道であり人並みの幸せは望んではいけない者と規定した。そして常に理解者を得つつも自ら離れて行った。このヒロイズムが勝新太郎と言う役者の個性と見事にマッチした結晶が座頭市だったのだろう。結果、普通の二枚目としては鳴かず飛ばずだった勝をスターに押し上げたと同時に新たな時代劇ヒーローを生み育てたのだった。当然の結果として、勝の死によりシリーズには終止符を打たれた訳だったが、先述のたけしの挑戦と綾瀬はるか起用という新機軸の企画が、この素材に新たな展開の可能性を開いた。また今後斬新な発想に拠り新しく面白いものが作られればいいと思うし、一方で僕のようにこれを機会として旧作に注目する人が増えればまた言うことはないのではなかろうか。結局、良いものは残る。これが真理と信じたい。(これで連載終りです。長々とやりました。)