かなり恐ろしい兆候

 どう捉えたらいいのだろう?
 昨日の朝日新聞。[「橋下知事いじめるな」 直言職員に抗議メール1千通]という記事。(以下引用)
 
 大阪府橋下徹知事に批判的な発言をすると、抗議が殺到する状況になっている。朝礼で橋下知事に直接意見を言った職員には、18日までに1000通を超える抗議のメールが府に届き、府議会での野党議員の発言にもクレームが相次いだ。
 「府民の代表に対し礼儀がなっていない」「あんな職員はクビにしろ」・・・・(引用以上)
 
 つづきはこちらで。 http://www.asahi.com/politics/update/0318/OSK200803180103.html
 記事の最後には[与党の自民党府議からも「怖い。自由な議論ができなくなる」と心配する声があがっている。 ]とさえあります。
 僕は、過日知事を批判する文章も書きましたけれど、決して嫌いではないのです。全否定する気も毛頭ありません。ご本人が言うところによれば、過激な発言はみな議論を起こすためのもの。とするならば、批判の声もこの職員のような態度もご自身にとっては望むところの筈です。「知事をいじめるな」という幼稚園児のような発想は、それを全然理解していない。ただ自分が好意を寄せている人が批判されたから許せない、という硬直した発想。
 橋下知事は、少しだけ小泉元首相とタイプの似たところがあると思うのです。小泉さんも人気がありました。旧体制を打破して改革を大きく推し進めたという部分もある。何より、人物的にはとても憎めない独特な方です。しかし、彼の政治手法や数々の発言は、世間的には「政治をわかりやすくした」と言われますけれど、もう少しよく見ると、実は思考停止をしているだけなんですね。政治というのは実に複雑で繊細な背景があるのに、そういう部分を一切ないことにして「何がいけないんですか」とか「感動した」とか、とにかく情緒的な単純な言説に終始してしまった。あらゆることを「賛成か」「反対か」などといった二元論にしてしまい、議論のしようもない答弁とインタビューで、見ている方は「あ、それでいいんだ」と思ってしまって気持ちいいかもしれないが、慎重に考えて配慮しなければいけないはずのあらゆることをふっ飛ばしてしまった。こういうところ、少しだけ似ていると思うんです。少しですけどね。
 人物が良ければ、スローガンがシンプルでわかりやすければ、手放しで全肯定するべきなのですか? 大いに疑問に感じます。
 代表に対して失礼とか、あんな職員クビにしてしまえ、なんて、ファシズムの発言ですよ。庶民が自ら思想統制を望んでいるようなものだ。権力に対して反骨精神を持つことこそ力を持たない庶民の武器であるはずなのに。もちろん反対ばっかりで何の生産性もなく政治を硬直させてしまっている昨今の野党も情けないこと限りなしですが(日銀総裁問題なんてその顕著な例)、だからと言ってお上への無批判な礼賛は自分の首を絞めることになります。
 どうして政策論議をしようとしないのでしょうか? 政治家も、一般庶民も。橋下知事を無批判でかばうこれらの人は、知事の政策を見てるんでしょうか? そもそも知事として投票した人の何割が、彼の政策を読んだ上で支持したんでしょう? 個々の発言や考え方について賛成したり反対したり、なんて、当たり前過ぎて言うのも恥ずかしいことを言わなければならない。とても恐ろしい流れが、その勢いをどんどん強めているという気がします。こんな雑文も、誰に何言われるかわかったもんじゃない。