「映画 < 小説」 か①

 本当は「チーム・バチスタの栄光」の感想を書いた次の日にアップする予定だった日記です。

 いつも映画を観て原作小説を読むと「小説の方が面白い」、みたいな話になってしまっている。映画は小説に勝てないのか?
 などという論題自体が愚かなのは判っている。全く違う表現媒体であり、それぞれ面白さが違う訳だから。だから小説を映画化して小説よりつまらないと思われてしまう(あくまで僕の感覚でしかないけれども)のは、この「全く違う表現媒体である」というところを意識されなかった結果なのではないかと考えられる。
 物語を緻密に積み上げていく、ということに於いては映画より小説の方に一日の長がある(これを小説の長所①とする)。長さを気にしなくてよいというのもここでは大きい。映画だと約2時間という尺の制限が大きくのしかかり、小説の映画化は=どこをどれだけ削るかの作業だとさえ言える側面がある。当然長い年月を語るのには工夫が要るし、ミステリーなどでは細やかな伏線など相当飛ばさざるを得なくなる。
 他にも小説が有利な点は多い。②として、心理描写の細やかさも小説の方が得意だ。映画では俳優の表情や画面作りで「感じさせる」ことはできるが、それを受け取る観客に委ねざるを得ない部分が大きい。ナレーションは相当上手に使わないとうっとおしくなってしまうだけだ。③読み手の想像力に任せることができるというのも小説の強み。「絶世の美女」でも「これ以上ない恐ろしい顔」でも、書けば(もちろん上手に書けば)読者が自力で脳内に完成させてくれる。これを映像化するとなると、キャスティングなどでも万人を納得させるのはまず不可能だ。人口に膾炙した作品ほど、多くの「そうじゃない」と考えるファンを生む宿命にある。あと④として、小説は読み手のペースで読み進められるという点もある。ゆっくりでもスピーディーでも自在。立ち止まることもできれば、なんならちょくちょく前に戻って読み返しても良い。映画は映画のペースに観客が合わせるしかない。他にもいろいろあるのだろうけれど、今ちょっと考えただけでもそれくらいのことを思いつく。
 ところが、実は短所は長所にひっくり返すことができるというのが面白い真理だ。
 ②は、ハッキリさせられないならなんとなく感じさせてそれを「含み」とさせることもできる。あいまいである部分は観客が勝手に補完してくれるのだから。小説の長所③が正にこの部分に当たる。その③についてはこれぞ映像作家の腕の見せ所というもので、自分の解釈を明示する最大の部分に当たるだろう。万人を納得させるのは無理なのだから、それならば思い切り自己流でやればいいのだ。④もまた然り。否応なしに作り手のペースで進むしかないのなら、強制的に観客を取り込めば良い。時制をばらばらにして再編成することによってそれを強烈な表現のてだてにした作品もある(「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」!)。故意に同じ場面を繰り返すことも、作り手の意図した順序・ペースでしか観られない観客に対する武器となる(「ラン・ローラ・ラン」!)。編集というのは映画最大の武器であろう。逆に小説では、実はまだそういう「順序」を表現の武器にするという試みがまだ充分になされていると言い難いのだ。①はなかなか難しいから僕の頭では何も思いつかないのだけど、才能のある人なら何か考えるかもしれない。(つづく)