消費促進剤としてのブランド その2

 デザインだって確かにいいなあと思うものがいっぱいあるけれども、大手ブランドともなれば販売店はあちらにもこちらにもあり、まして昨今のように若い人が店内狭しと詰め掛ける現状では、街を歩いていたらあちらから「オレのお気に入りのコート」とそっくり同じのを羽織った御仁がさっそうと歩いてくる、なんてことが日常茶飯事になってくる。これじゃ「ちょっと人と違うものを身につけている」という思いは一瞬にしてしぼんでしまう。第一服なのかブランドの宣伝なのかわからないような、芸のない全身ブランドロゴみたいなもの、もはや「デザインがいい」とも言えない気がする。
 結局最初の疑問「どうしてブランド品を買うのか」の答えは、「わたしこのブランド着てるのよ」という顕示欲以外の何物でもない。子どもだと極端な話、ひとめ見て特定のブランドとわかるモノでさえあれば、なんならパチモノだって全く構わないわけだ。そこには「品質保証」という本来ブランドが背負って立つべき価値は微塵も介在していない。
 話を昨日のテレビ番組に戻すと、出演者の中●彬さんが「僕はほとんどヴィトン」と誇らしげに言っていた。万年筆も靴もヴィトンだ、と(実は「靴」ははっきり聞き取れなかった。要は服や鞄だけじゃなく何でもかんでも、ということを仰ってた)。これも実はブランドの名前を買っているだけ。本当にいいものを探す人なら、なんでもかんでもファッションブランドの品物で固めるようなことはしない。いくらバーバリーのデザインが好きだからと言って、僕だったら絶対革靴をバーバリーでは買わない。最近じゃ靴自体高価で新しく買うなんてとんでもなくなってしまったけれど、探すならまず靴専門のメーカーを見る。ヤンコなんて知らない人が多いだろうけど、幅広甲高の日本人足にも合う、革もいいものを使っている、おまけに比較的安価。バーバリーエルメスのものより数層倍「いい靴」だろう。高級ブランドならいい革使ってデザインも洒落てて何よりブランドのロゴがついているけれど、靴としての機能面はまた全く別問題だ。天下の●尾さんからして、こんなもんだ。「いいからブランド」ではなく、もはや「ブランドだからいい」。これではとても審美眼があるなんて言えない。(今日はこのへんで。明日ちゃんと話まとめます。)
 全然話は違うけれど、先日終礼のためにクラスに行ったら、男子がみんなマフラーを「中尾巻き」にして立ってた。壮観だった。オッシャレ!