消費促進剤としてのブランド その1

 今朝出勤前にテレビを見ていると、昨日オープンした阪急メンズ館が報道されていた。阪急百貨店からメンズを一掃してこちらに固めたという形。イメージとしては新宿伊勢丹のメンズ館に近い? もう昨日オープンだったのか、という感じ。興味はあったはずなのに、気にするのをすっかり忘れていた。Mkくんも足を運んだようで日記に書いておられたが、すごい人出だった模様。その番組では件のメンズ館に入ったルイ・ヴィトンのお店を核に語られていた。オープン前の行列を見ると、殆どが若者。この国ではブランド品は若者のものだ。と思うと、今更ながらなんだか妙なことになっているよなあ、と感じてしまう。
 どうしてブランド品を買うのか。インタビューを受けていた人も語っていたけれど、「ステイタス」。でも、まだ自分で生計も立ててないような若者が買い漁るものがステイタス? 本来は無論ステイタスと言って何の違和感もないところなのだろうけれど、それはブランド品を功成し財を遂げた身分の人が身につけてる社会で言うことだと思う。
 僕もブランド品は嫌いじゃない。理由ははっきりしていて、素材と仕立とデザインが、やっぱり一流ブランドの品物は卓越しているから。何でも「ちょっと変わったものが(と言うかひと工夫されているものが)好き」な性格なので、たとえば一見同じようなシャツでも実はひとあじ違う、というのを身につけているのが気分がいい。でもある時期に気づいてしまった。必ずしもブランド物がしっかりした品質でもないと。イギリスのプ●ン●ルというブランドのものが好きで、セーターなんかは確かにデザインも材質も良くて気に入って着ているけれど、ある時買ったシャツはあっという間に袖が綻んでしまって、それも一箇所ならずあちらもこちらも。お世辞にも名前を背負うような縫製ではなかった。ダ●ヒ●に勤めている知り合いは、先輩販売員から最近の革製品がどれほど品質が悪いかという嘆きを聞いたと話してくれた。これは邪推だけれども、もしかしたら「出せば売れる日本市場向け」の粗末なラインがあるのかも知れない。(書いてるうちにやたら長くなったので3回くらいに分けます。つづきは明日。)