『母べえ』試写会

母べえ

 ウイスキーの話はまだ続けるんですが(たぶん6回くらいまで。しつこい。)たまには話変えます。昨日の日記。
 
 妻のお母さんが当てた試写会を譲ってくれるということで、近鉄で八尾まで行ってきました。なんとこの日同じ映画館でリリーさんご夫妻も映画ご覧になってたようです。
 映画は山田洋次監督、吉永小百合主演の『母べえ』でした。吉永小百合の役どころは、近年の出演作のパターンと言うべきか、「忍ぶ強い女」、そして実年齢より相当若い設定。しかし、第二次大戦前後ということもあり(当時の人は質素で、また生活に疲れてもいたでしょう)違和感はありませんでした。監督がこの存在感を是非とも欲したということがよく判ります。またラストに決死の(?)姿を晒し、「やるなあ」と思いました。この主人公は、ずっとずっと耐え忍んで強く明るく生きて子どもを守って来て、でも最後の最後にぽろっと本音を漏らして、そこで涙せずにいられません。脇の配役も絶妙でした。三津五郎さんは前作『武士の一分』から一転、いい人の役。
 この時代にあって善意の人がとてもたくさん登場するのがいつもの山田洋次作品らしく、こういうところ、嫌いな人は嫌いなのだろうなあと思いました。でもこれいい作品でしたよ。是非戦争を知らない若い世代に観て欲しいです。戦争になると怖いぞ、って。
 そういう「反戦的要素」だけでなく、いつも山田洋次作品の評で同じことを言いますが、本当に細部までていねいにていねいに作りこんでいて、これが映画の描写だな、と改めて思わされます。日本映画大人気の昨今ですが、ヒット作の多くが主演タレントの人気や原作の話題性頼りで、作りもテレビの延長でしかない粗末さ。テレビドラマを頭から軽視したくはないですが、やはり劇場映画とテレビドラマとでは、どっちが上下でなしに作りが違うはずです。またどうしてもテレビの連続ドラマはお金も時間も足りない。そりゃ細部は簡略せざるを得ないでしょう。(話は逸れますが、先日新ドラマ『バラのない花屋』の冒頭を見ましたが、一発で「あ、これは漫画原作のじゃないオリジナルだな」と感じさせました。描写に余裕がありますもん。久々の野島作品と後で知りましたけど。)カネ出す人も、場合によっては作り手も、売れればいいとしか思ってないのかと感じることも。パッと見て興醒めするごく一例を挙げれば、手にした荷物一杯の紙袋が見るからに軽そうな詰め物しか入っていなかったり、ごく一般的な家庭の、母親が育ち盛りの子に作った食卓に、大皿いっぱいの唐揚げとそうめんしか載ってなかったり。そんな細かいことが何だ、肝心なのはストーリーだろうと言われるかも知れません。(その肝心なストーリーがどうなんだよということは措いておくとしても)細部のリアリティをないがしろにして、人間の姿も世界の真実も絶対に立ち顕れません。小説化が一字一句を疎かにしますか?
 妙なところで長文化してしまいましたが、山田洋次の作品というのは、そうした細部細部に生活が、魂がちゃんと吹き込まれているということです。上質です。原作も読んでみたいですね。エンドクレジットで流れる「夫の最後の手紙」。飾りのない詩のようです。原作そのままの文章なのかも知れません。