『パンズ・ラビリンス』

中でもこの「ヒト」が!

 スペイン。独裁政権レジスタンスの戦闘状態が泥沼化した1944年。父をなくした主人公の少女オフェリアと母親が、再婚相手である軍将校ビダル大尉の任地へとやって来る。新しい父は冷血な鬼軍人。母は臨月を迎え体調が最悪。オフェリアは身の置き所がない。母以外に唯一気が許せる下女のメルセデスは、どうやらレジスタンスの一員らしい。どうしようもない閉塞状態の中で、オフェリアは妖精と出会い、森の中の迷宮へと導かれる。そこで出会った牧神パンから、オフェリアは自分が地下の王国の王女の生まれ変わりだと聞かされる。王国へ戻るためには、満月までに三つの試練を乗り越えなければならないという・・・・。(以下ネタばれあり)
 典型的なファンタジーのようだけど、これは戦争映画だと思って観た方がいい。救いのない現実に追い詰められたオフェリアが、ファンタジーの世界に救いを求めていく。構図としてはそう受け取って間違いないだろう。ラストはあまりに切ない。切ないなんて言葉は生ぬるいかもしれない。あまりに強烈。空想の世界に遊ぶのは現実から目を逸らす「逃げ」である。普通そう思う。しかし、オフェリアにとっては「そうなるしかない唯一の道」だった。最後のオフェリアは、だから「幸せだったのだ」。ある意味で、これは最も正しい「ファンタジー映画」と言えるのかも知れない。
 しかしもしかしたら、地下の王国はオフェリアが創りあげた架空の世界ではなく、本当に存在しているのかもしれない。いや確実にファンタジーの世界は我々にとって不可欠な別世界なのだろうと思えて来る。映画の最後に語られる「注意深く見れば気がつく」ちいさな標は、見える人には見えるのだろう。大多数の人は気づかないだけ。本作を「単調」「単純」と言う向きもあるようだが、それこそ注意深く見れば、現実と王国は重層的に響きあっており、繰り返しになるがただの「逃避」世界として描かれている訳ではない。まだ何度か観直してみたいと思わせられる所以である。
 言及が遅れたけれど、地下王国とその住人の造形は極めて個性的。かつて見たことのないファンタジーの世界だ。作品の中で登場する時間は思いのほか短いのだけれど、充分に見入る価値がある。

 先に述べた通り、これは従来のファンタジー映画のつもりで見に行くととんでもないことになる。必然性があってのことだけれど、この映画では残酷な描写を避けない。何度スクリーンから目を背けたことか。そういう作品を、どうしてさも愛らしいファンタジーであるかのような宣伝の仕方をするのだろう。この日記で度々述べていることだけれど、こういうケースが多すぎる。つまり、不特定多数の観客を呼び込むため、特に若い女性にアピールするように全く作品本来の性格と異なるイメージで宣伝を展開するというケースである。もちろん商売だからたくさんの客に足を運んでもらうようにするのは当然だろうが、騙してどうする。結果多数の人がイメージと違うものを見せられて作品への不当に低い評価を持ち、最終的には「つまらない映画だった」というのが大勢の結論となる。作品も観客も大事にする気が微塵もない、極めて志の低い姿勢であろう。そこが残念。作品には文句なし。大変レベルの高い映画だった。
 (ぬんちゃく氏の、スペイン内戦を主軸としたレビュー。参考になります。http://nuncyaku.blog.shinobi.jp/Entry/63/