ドラマのBGM

 前から気になっていたのだけど。テレビドラマで劇場映画のオリジナルサウンドトラックをそのままでBGMに使っていいのか?
 バラエティやドキュメンタリーならまあ既成曲の流用はよくあることだと思うのだけど。もちろん映画でも過去の作品からそのまま楽曲を持ってくる例はある。ただそれはハッキリその過去作を意識して効果を狙ったりオマージュを捧げたりなど明確な意図があってのこと。中には『キル・ビル』でタランティーノが日本映画の『仁義なき戦い』の新作で聴いた布袋さんの曲に惚れ込んで「そのまま使わせてくれ」と言って使ったら(本人がそれなら新曲を書き下ろそうと言うのに「いやあの曲がいいんだ」と、失礼っちゃ失礼な拘りを発揮したそうですが)、この曲がウケて桜塚やっくんが登場音楽に使ったりCMでラップバージョンが採用されたりと急に人気が出てしまったというケースもあるが。最近では『トランスフォーマー』でも黄色いカマロのテーマとして(たぶん色合いが『キル・ビル』ヒロインのトラックスーツを連想させたんでしょう)使われてて笑ったもんです。こういうのは全て計算の上。当然その楽曲からオリジナルを観客が想起するのを前提として使われている。(タランティーノはただただマニアックなだけかも。それが作中でもの凄く効果を発揮しているからいいのだけど。)
 でも昨今のテレビドラマでの使われ方は、どう考えてもそんな「演出的」なレベルではないだろう。評判の『パパとムスメの7日間』で『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の曲が使われて、そこに一体どんな繋がりがあるか。第一、見てる人のどれだけが原曲の引用に気がつくか。実際には、だからこそ(誰も引用に気がつかないだろうと踏んだからこそ)使っているのが実情だろう。テレビのドラマだから制作費も制作期間も限られているという事情はよく判る。判るが、あまりに志が低すぎないか。やり方が安易に過ぎないか。例は本当に一例であって、いまやこういうことは当たり前のようにあちこちのドラマで見受けられる。まさかそれをサントラCDにそのまま入れているのではなかろうな? 使用許可はまあ取ってあるのだろうからCDのライナーには正直に引用を書いているのだろうけど。そうでなけりゃハッキリと盗作だ。「イメージに合うから使っただけで、何をカタイことを言っているんだ」との意見もあるかも知れないが、事はオールディーズやスタンダード曲あるいは有名なクラッシック曲を作中にちりばめるのとは訳が違う。そのドラマ用のオリジナルサントラの中に、それも結構一番効果的な部分に他作品のオリジナルのサントラ楽曲を滑り込ませているのだ。それも多くは何のアレンジも施すことなくそのまんまで。それだけで盗作だと言われても仕方ないくらいの状態なのだから。こういう事は意外とドラマのサントラ作曲を依頼された人ではなく製作サイドが勝手にやっていることなのだろう。そういう意味で作曲家も被害者かもしれない。(あ、話はあくまでBGMについてですよ。作品内容そのものをけなしてる訳ではありません。これを言っておかないと、熱心なファンから怒られてしまう。)

 思い出したので、この「過去作の楽曲の引用」で僕が知る限り最も粋に感じた例を紹介。
 アル・パチーノがアカデミー主演男優賞を受賞した『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』。もう10年以上前の作品だ。アル・パチーノ演じるのは頑固な元軍人。彼は目が見えない。表向きはこの初老の男がある青年(名前はチャーリー)の成長を助けるというストーリーだが、実際はその彼の頑なな心を青年がほぐして行く物語なのだ。この作中さりげなく繰り返されたのがチャップリンの名作『街の灯』のテーマ曲。『街の灯』というのはルンペンのチャーリーが盲目の花売り娘に金持ちと間違われ、彼女の目の手術のお金を工面するハメになって奔走する喜劇。最後には娘は視力を快復し、チャーリーをありのままのチャーリーとして受け入れてくれる。もうお気づきだろう。2作の共通点。「チャーリー」が盲人の目(心)を開く物語だ、という。曲は本当にさりげなく使われている。だから気づかなければそれはそれでいいのだろうけれど、思い当たった時の感動は作品を2倍にも3倍にも素晴らしく演出してくれる。過去の名作の音楽の引用というのは、こうやってするものだ。