映画『ロッキー・ザ・ファイナル』

頑張りました

 思っていたよりずっと良かった。
 この物語の結末については「思いがけない」とか「とても気の利いた」という表現をよく見受けたけれど、これ以外には考えられないだろう、という想像通りの終幕であったように思う。そして、それで良かったのだと思う。
 このロッキーは、まさしくスタローン自身だ。彼にはもうこれしかできなかった。が、もしかするとこれは彼にしかできなかったことかも知れない。どう見たって痛々しい肉体を晒し、「とせばいいのに」と誰からも言われることが判っていても、最後にやらずには終われない。そうして後に残るのは清々しさだった。たとえ話自体はこれまで同様のワンパターンでも今回は事情が違っていた。ちょっと盛りの過ぎた者には、これは響く。人のとやかく言うことなんて気にしないでいい。思っていることがあるなら、納得がいくまでやり通せ、と。何事も遅すぎるということはないのだ、と。
 あたかも一作目と今作しかなかったかのような印象だ。もちろん2〜5作目のシーンもちらちらと映し出されていたのだけれど、もはやスタローンの意識には一作目しかないと感じた。だから本作は、徹底的に一作目を読み返して作り込まれている。リトル・マリーやスパイダーなど一作目の小さな小さな役柄が、本作で深い印象を残す。そして敵役や息子なども一面的ではなくちゃんとそれぞれの立場に共感して描き込まれていた。ただ、本当に饒舌だ。言いたいことは全部台詞で言ってしまっている。それに行動が伴っているから構わないのだけれど、寡黙な映画を観た直後だけに「よく喋るなあ、みんな」と思ってしまった。ま、これはご愛嬌か。
 音楽について、もう一言だけ。ちょっと陳腐であろうがひとたび響きだすといやおうなしにアドレナリンが湧き出さずにいられないあの曲のことを。ビル・コンティのこの音楽は、もう古典と言っていい。だれしもの心に残り続けるのだろう。愛すべきキャラクターと共に。