見方、感じ方

中川一政 薔薇

 洋画家の中川一政という人の文章を抜粋で読んだ。ウィスキーのブレンだーの方が、テイスティングの話の中で引用されていたのだけれど、これは様々なことにあてはまる含蓄のある言葉だと思う。文中「画の見方」という言葉をいろいろに置き換えてみるといいと思う。(以下、引用)

 画の見方と云えば画をきゅうくつに考えないで見る事です。富士山を見て良い景色だと思います。しかしよい景色は富士山ばかりではありません。富士山ばかりをよい景色と考えすぎると、天の橋立へ来るとわからなくなります。そういう風にきめずに見る事です。こういう風にすれば観賞の範囲は広くなります。それからわからないものはわからないものとしておいて、わかるものを先ず味わって行けばよいのです。人というものは其人の心の深さだけしか見る事ができません。深い心の作品を見るにも自分の程度だけしかわかりません。いつ迄見ていても良い絵というのは、自分の心が成長して行ってもまだ奥底のわからぬ絵のことです。自分にとけぬ謎のある絵です。自分のわかる程度で素直に見てゆく事です。理屈ぜめにして見てゆかぬことです。自分が成長すればわかるだろうと思うことです。そして成長する事を考えたほうが近道なのです。こういう風にすれば観賞の内容が深くなって行きます。以上のように観賞の広くできるように深くなるように二つあわせてゆく事で見方が鍛えられると思います。