「パフューム ある人殺しの物語」小説そして映画

赤毛の美少女の魅力とは

 僕は楽しめた方の人間だった。
 匂いについての物語、ということで、長く映画化が実現しなかったらしい。文章作品では心理にせよ状況にせよ「描写」という強い武器があるが(それだって凡百の手にかかれば単なる説明に堕するのだが)、目に見えない匂い、殆ど口を利かない主人公、これをどうやって映像化するのだろう、ということは、先に原作小説を読みながら随分楽しみにしたものだ。そして、映画はかなりのレベルでそれに成功していると思う。それも大変な抑制をもって。それでも長い原作を刈り込む過程で捨てざるをえなかった数々の細やかなニュアンスはやはり惜しい気がした。人が人に抱く好悪の感情は、実は視覚などよりも致命的な程に嗅覚によってもたらされるのだ、という半分真理半分ハッタリは、映画では伝えきれていなかった気がする。
 ハッタリと言ったがこの物語自体壮大なハッタリである。一笑にふされるぎりぎりのところでバランスを保つ力技は、特に目で見えてしまう映画において「よくぞやった」という感じで厳かにキープされていた。一方で視覚に訴えるからこその効果的な描写もたくさんあり、「こいつを映像で表現してやるんだ」という作り手の意欲とセンスを味わうことができる。細かな改変がいくつかあったがそれがことごとく効いており、極めて原作に忠実に映画化されている作品であるにもかかわらず、作り手の独自性というものも感じることができた。殊に主人公の主観、その孤独感というものは、映画の方がより強く伝わった気がするくらいだ。
  本来極めてマニアックな作品である。だが広告戦略としてはより多くの人に訴えかけるよう、豪華絢爛さに少しの隠微さを織り交ぜるイメージ戦略で打って出た。話題にはなったが、当然見た人の反応は大きく二分するだろう。ただただ嫌悪感のみ抱いて、共感などこれっぽっちもできずに足早に劇場を去る観客もたくさん生み出してしまうことだろう。宣伝についてはもう一つ苦言がある。レビュー記事などでは誰もが慎重に明言を避けているあのクライマックス(それでもかなり予測はつくのだろうが)、それをテレビのCMレベルで漏らしてしまってはもともこもないだろうに。タイトルとコピー文を併せれば、「予測不能」と喧伝されているこの物語の展開はもうおおよそ読めてしまう。それでも最後の最後、あれにはびっくりさせられたのだが。この結末もまた評価の真っ二つに分かれるものに違いない。僕個人は、読み終わって(先に触れたのが原作小説だったので)しばし呆然とした後落ち着いてから、こんな人物の終焉をおさめるにはこれしかないのだろうな、とつくづく考えたものだが。