映画のタイトルに「クラッシュ」とつけると良い作品になる?

この場面、泣く

 クラッシュというタイトルの映画はいくつかあって、クローネンバーグの作品はとても好きです。他に奥山監督のドキュメンタリー作品もありましたね。今回観たのはポール・ハギス監督作品です。アカデミー賞で作品・脚本・編集賞を受賞した作品にもかかわらずものすごい短期間の公開で、劇場で見られずにいたものがDVDで出ましたので、久し振りにDVDを買いました。
 群像劇という以外に何も知らずに観たのですが、前半ものすごく居心地が悪かったですね。アメリカってこんなに人種差別酷いのか、と(大袈裟にはしてるんでしょうけど)。人種差別だけじゃない、人間のあらゆる「見たくない」部分が次々に描き出されて、それがまたものすごく「無理がなく」描かれていて登場人物たちに感情移入もできずさりとて憎むこともできず、で、途中で何度か見るのやめようかと思ったくらいです。途中から知らぬ間に引き込まれていたんですけど。そして、ラストはまあささやかなメルヘンといってもいいのでしょう。そのメルヘンが前半の嫌というほどのリアリズムと少しも乖離していないのがすごい。全ての登場人物に「ささやかな幸福」が降り立つ訳でもなく、やはり後味はやるせないのですけど、希望は持てます。こんなラストも珍しい。
 ものすごく厭なヤツが目を瞠る働きをしたり、良心の塊みたいな人がとんでもないことをやらかしたり。全く関わりないはずの人々のほんのちょっとした行動が思いもかけぬ余波を周囲に撒き散らし、予想もできない展開を見せます。すごい脚本だなあ、などと暢気に考えていたのですけど、観終わってみて、ぞっとする。先述のように「アメリカ(ロサンジェルス)てえらいとこやな」などと他人事のように思って観てたけど、なんのことはない、自分のことじゃないか、と思い当たったのですよ。無論アメリカなりの特殊環境(多人種、銃社会、など)もあるんですが、不条理な感情や差別意識、弱さなど・・・・他人事などではない、誰しもが抱えていながら見ないようにしている部分を開けて見せてくれていたんじゃないですか。そうだからこそ、見たくなかったんです。凄い映画だな、と思いました。この「突きつけ方」は文学作品並みです。と言うと語弊があるのかもしれませんが、映画は(特にハリウッド製の映画は)集客力がどうしたって優先されるじゃないですか。この作品はいいです。


 あ、明日から一泊で旅行してきます。日記の更新は帰宅してからになるかもしれません。