権威主義

sa10kazu2004-02-27


先日松林のところで書けなかったこと。
隣に座った物理の先生から「国語の先生には言いたいことがある」と言わた。何ごとかと思って構えたら、今回(H15年度下半期)の芥川賞のことだった。19、20歳のお二人が受賞して話題となっているが、「芥川賞はどうなってしまったんだ」とおっしゃる。曰く、「文学」と「学」のつくものには永い歴史を伴った厳とした伝統がある。そして小説というのはプロの世界でる。今回の新人ふたりがポッと出た一発屋なのか本当に才ある新人なのかはわからないが、あまたいるプロフェッショナルを抑えて最高位に君臨させられる訳がない。今後のこの賞の権威のためにもこれはマイナス以外の何ものでもないだろう…。
おそらくこれは、多くのオジサン達の本音を代弁したものに違いない。「誰も言わないから俺が言う」といった熱を感じたものだ。しかし、僕としては両手を上げて賛同する訳にいかなかった。(心のどこかには、話題作りか商売か、といった邪推もないではないが。)まず直木賞と違って、芥川賞は新人賞的性質もある。この方のおっしゃる筋は、正に大衆文学の直木賞なら当てはまると
思った。大衆文学こそプロの「小説屋」の世界。実際、最近の直木賞は受賞対象作そのものよりこれまでの実績全般に対する評価、という色あいを強く感じる。一方で芥川賞はご存じの通りこれまでにも若い受賞者を輩出して来たではないか。それに、何よりまだ僕は作品を読んでいない。文藝春秋の受賞作品掲載号は買っていて、掲載部分だけ切り取って持ち歩いているのだが、いま先に読まなきゃいけないものが多くて手をつけられずにいる。読みもしない作品に、云々は一切言えぬ。かの物理の先生も「まだしっかりとは読んでいない」とおっしゃっていたが。
どうもこの方は権威主義者である。権威は不要だ、などとはこれっぽっちも思わないが、しかしどちらかというと僕は権威に興味がない。 渡辺謙アカデミー賞は獲って欲しいが、獲ろうが獲るまいが「ラストサムライ」の彼の素晴らしさはかわらない。そもそも歴代アカデミー作品賞受賞作が、その年々の他のノミネート作品より抜きんでて傑作であったとも思わぬ。ここにも様々な人の様々な思惑が絡んでおるのだ。権威はカネと名誉と、抜きさしならぬ関係にある。
権威主義はブランド主義である。ブランド商品は何がいいか?名前と歴史に裏打ちされた品質の高さと洗練にある。決してブランドロゴにあるのではない。以前履いていたバーバリーのレザースニーカーは、脱ぐとソールにしつらえられたバーバリーチェックが見える。この靴、脱いであるのを見て「いい靴履いてるやん」と言われたことは何度もあるが、履いてる時にそう言われたことはとうとう一度もなかった。
権威主義とはこういうものだ。まあその先生も世間がもてはやすから反感を持った、という意味でどこかに「反権威」のおつもりがあったのやもしれぬが、世間を気に病む時点で権威主義なのである。
それはともかく、むしろ心配するのは今回の受賞者が、あまりに早く栄冠を得てしまったことによりこれ以降が大変なのではないかということだ。自分自身の問題もさりながら、騒ぐ世間、そしてすぐに消費して忘れ去る世間が彼女らを喰い潰してしまわないか・・・・。そんなことになってしまうのであれば、確かに芥川賞も罪作りなものである。

今日は懇親会ゆえ帰宅が遅くなります。コメント含め、あとの記述は明日にまた。
写真は今日の昼メシ。韓国のカップラーメン。辛かった!