映画 「シービスケット」

今日から学年末試験が再開。ところが、この職場に来て初めて、試験監督がひとつも当たっていないという日になった。こりゃ休まなきゃ! ということで年休をとった。と言っても、朝は普通どおりに出勤し、入試仕様になっていた教室を直して朝のホームルームだけはしてから出た。なんだか妙にあほどもの顔を見たくなったのだ。かわいく思えるのは授業がないせいか?(授業があると「やかまし黙れアホ」と連呼せにゃいかん・・・・。)まそれはともかく。
やはり精神的に消耗してたのか、今朝はちょいとも目覚めずぐっすりと、普段勝手に起きる時刻を10分寝過ごしてしまった(目覚まし使えよ)。ので、さっさと帰ってひと眠りしようかとも思ったのだが、思いなおして梅田に出た。そして「確か評判良かったよな」と思いつつ、しかし大して期待もせずに観たのがこの映画、『シービスケット』である。これが良かった。不覚にも涙した。いや、もともと涙もろいのだが、こんなに顔歪めてまで泣いてしまうこともそうない。泣いたからといっていい映画とも限らないのだが、これは素直ないい映画だ。こういうのがアメリカ映画は得意だ。
アメリカでベストセラーになったノンフィクションの映画化である。人生に見捨てられたような男3人が一頭のサラブレッドに引き寄せられた。ひとりは馬主に、ひとりは調教師に、ひとりはジョッキーになる。その馬シービスケット自身、脚の曲がったチビで気性の荒すぎる、見捨てられた競走馬だった。しかしそこに秘められた才能に魅入られ、3人それぞれの男の、人生の再起を賭けた闘いが始まる。大恐慌下、生活苦にあえぐ大衆も、やがてこの風変わりな競走馬の活躍に熱狂して行く。彼らは賭けに勝ち、成功を手中に収めたかに見えた。が・・・・。というお話。メッセージは単純。「へこたれんな。何度でもやり直せ!」である。まあ「ロッキー」と一緒だ。「ロッキー」一作目好きだけど。あれも最後はやっぱり泣けるよ。パンフレットでも人が書いてたが、しかし誰にでも「頑張れ」と言われて「よっしゃ」と思えるもんじゃないんですよね。
普段はこむづかしい屁理屈ばっかりほざいていても、たまには素直にこういうので泣いてみたいではないか。人生捨てたものじゃない。まあこの物語のように(ノンフィクションとは言え全て真実通りでは決してない)成功ばかりするものじゃないが、作中でも登場人物が言っている「誰だって負ける。だがその後どうするか?」これが問題である。負け続けたってむくわれなくって、やり続ける。僕はそういう姿勢が大好きだ。憧れる。自分にはできないが。日本人好みの「花の散る前にいさぎよく身を引く」というのが逆に嫌いだ。何にカッコつけるんだろう? 人生の美学だろうか? 外面だけ美しく装ってもそれは人生の勝利にはならない。どんなに外面がみっともなかろうが、ちょっとでもやれる力があるならやり続ける。そんな「往生際の悪い」生き方をしたい。この作品の人物達は奇跡とも言える勝利を手にするが、生き方は正に僕が憧れるそれである。だからだろう。最後のレースはもう途中から涙でかすんでいた。いい。負けてもいい。それでいい。そう思った。まあ、公開中の映画だし、もしこれ読んで「じゃ見に行ってみるか」と思ってくれる人もいないとも限らないからあんまりストーリーには言及できないが・・・・(もう遅い?)。でも結末や展開を度外視しても感動できると思いますよ。僕の琴線には触れました。
役者もいい。クリス・クーパー。最高である。「アメリカン・ビューティー」の役とも、「アダプテーション」の役とも全然違う。映画後半はちょっと影が薄くなるが、とにかくこの人最高。もうファンです(老調教師スミス役の人ね)。
映画にかかわっていろいろ書きたいことがあるのだけど。おりえのページともリンクして話題を展開したいんだけど。まああせらずぼちぼち行きます。