映画の日に 二

風立ちぬ
 これは難しい作品だ。
 ぐだぐだ言う前に立場をはっきりさせておくと、僕はいい作品だと思った。これが前提。
 宮崎駿作品を観るのは『紅の豚』以来。以降の作品は全く観ていない。そんな日本人許されるんか、て言われそう。ポリシーがあった訳ではないです。根が偏屈なものだから、ジブリ作品の国民的人気にちょっとシラけてしまい、避けるようになってしまった。きっと本当は作り手の宮崎さんご自身が、そういう熱狂には一番居心地の悪い思いをされていたのでは。本作を観終えて、そしてその翌日引退報道を耳にして、そう感じた。
 今回は予感があった。見とかなアカン、と。正解だったと思う。
 動画としてのレベルが半端ではない、なんて今更言うのもヤボだが、まずそこから圧倒されてしまった。効果音の多くを人の声で作っているせいか、ある場面ではそれが温かみとなり、ある場面では不気味さとなり。とにかく特殊な感覚をおぼえることしばしば。すごいな! とか、もうそういうことはいいですか?
 賛否両論とにかく激しい! もうとにかくあらゆる視点からの論述がある。その時点で、おそるべき力のある作品ということは判る。
 称賛できない人の思いは、よくわかる気がする。むしろ気楽に「泣けた」という感想の方が「?」となる。冒頭で述べた通り、難しい作品だと思う。
 まず、主人公になかなか共感し辛い。何を考えているのかがわからない。とてもいい人だけど、自身で無自覚なところで大変冷淡というか、残酷というか。夢中になると周りが全く見えなくなる。すぐに妄想に入ってしまう。菜穂子を愛してはいても、彼女のことはちっともわかっていない。ひたすら美しい飛行機をつくりたいだけだが、それが純粋な殺人兵器であるということからは目を背けている。・・・・
 でも、モノを生み出せる人って、こうなんだと思う。これは宮崎さん自身だ。ヒコーキは好きだが戦争は嫌い。分裂してる。そんな自らをほんの少し曝け出したのだと思う。そこにはもう善も悪もない。だから本作をして反戦だ、いや大戦是認だ、というのはどちらも違う気がする(両極の読解が出るのがまた凄い)。とことん夢に打ち込んで、でも結果として残ったのは忌避して止まないもの・ことになってしまった。愛するものも失った。その慙愧の思い。それでも、自分にはこの道しかなかったのだ・・・・
 こんなものを作ってしまったら、そりゃもう次何ができるんだ、てことになりますよ。
 思いを口にしないのは主人公にとどまらず、作品全体がそう。ある意味不親切で、極力説明は排除してしまっている。相当時代背景を知っていないとスルーしてしまうことだらけだし、知っていたら知っていたで、見る人の色眼鏡で「こんなの望んでたんじゃない」となる。
 それでもいい。そう言っているのだろう。わからないならそれで結構、と。表面的には悲恋の要素を織り込むことで一般的な要望にも対応しているけれど、なにせ主人公があれだから、結構女性からも反発されてるよう。とにかく、最後にそれでも生きて、と言ってもらうためにだけ、菜穂子は存在してたんだと思う。
 本作一番の泣き処は、祝言の場面でもなく、「美しいところだけ見せたかったのね」という嘆きでもなく、もしかしたらエンドクレジットかもしれない。ストーリーが最初からなぞられていく。でもそこに主人公は居ない。ただ美しい日本の光景が流れていく。歌は、「ほかの人には わからない」と歌っている・・・・ 本当に切なくなる。
 たぶん。いや絶対、一度観ただけではダメだ。少なくとも自分はそう。また、何か特定の期待を持って観てもいけない。「ジブリらしいお話を見たい」(あの予告編は完璧でした)。「零戦を描くならこれこれの要素は抜きには語れないよ」。「今回は大人の恋愛を描いているって?」。 ・・・・全部、肩透かしを喰わされるでしょう。ただ、美しいアニメーションは裏切らない。そこには確かに、失われてしまった日本が丹念すぎる程に描きこまれていました。