テレビって

 たまたま今日のフェイスブックでつながりのないお二人の方がそれぞれテレビの話をされていて、少し考えてしまった。
 おひとつは、テレビの取材の中で、作業で汚れた手指を汚れの見えないように握らされたというお話。
 もうひとつはテレビでの、ボウリング場での芸能人のマナーの悪さを指摘しない番組の姿勢への疑問というお話。

 テレビ番組を作る方々独自の美意識というのもあると思うのだけど、どう「目標とする見せ方をするか」という中で、現実と乖離してしまうケースも多いのだろうな、と思う。
 綺麗なイメージで作りたい。そのためには作業によって必然の汚れのようなものは排除したい。
 楽しい番組にしたい。そのためには空気に水を差すようなヤボな要素は排除したい。
 限られた尺の中で、それぞれの番組で目指すところのために、徹底した編集作業がなされていく。その中で、現場では大切にされている要素もなかったことにされて行くことも少なくないのだろう。テレビを見る側は、そういうところがあることを知っていて見なければならないと思う。

 報道番組であっても、映し出された部分は事実なのだろうけれど、削られた前後の文脈に、もしかしたら当事者の本当に意図したところがあって、でもそれは無かったことにされてしまうと、意図とは全く違った受け止められ方をすることになってしまう。
 会見での発言などでも、報道側が意図的に違う文脈で発信してしまうことだって可能なのだ。

 少し大げさな話になってしまったけれど、テレビの映し出す現実は、良かれ悪しかれ「造られた現実」であると知らなければならないと思う。