映画番組には昔解説がついていた

 鳥猫さんが荻昌弘さんのことを書いておられました。Mixiご覧になれる方はぜひご一読下さい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1608812451&owner_id=2177369
 以下の僕の文章は蛇足ですが、懐かしくなって、つい自分でも何か書いてみたくなりました。
 以前はテレビの映画番組では、必ず最初と最後で名の知れた評論家や役者さんによる作品解説がついてました。いつの間になくなってしまったのでしょう。
みなさん通なのですから、ゴールデン帯にテレビでやる娯楽中心のラインナップの中には、個人的にはキライな作品も多かったでしょう。それをこれから観る人が楽しくなるように解説するのは正直苦痛だったと思います。また好きな作品ならそれはそれで、前後合せてたった3分半ほどの時間でどうやって素晴らしさを伝えるか、これもまた難問だったことでしょう。
でも、このテレビの解説をやることが映画評論家の努め、というようなことをどなたかがどこかで語っておられました。テレビで映画を観ていた我々が、この解説によって育てられ、一方で評論家もこの作業によって評論家として鍛えられた、ということでしょう。
 本当に、僕自身はこのテレビの解説で映画の教養・観方・楽しみ方を教わって来ました。淀川長治さんから細部に宿る映画の生命について。また往年の名優たちの素顔を。水野晴朗さんからは映画が人生を教えてくれることもある、ということを。中でも一番好きだったのが、荻昌弘さんでした。
 正直地味でしたが、知的で誠実。しばしば、はっとさせられる視点をさりげなく提示して下さっていたように思います。↑の鳥猫さんの文章で、荻さんの最後の解説を見ることができますが、涙を禁じ得ません。僕は手元に『ブレードランナー』の解説を保存しています。
 お恥ずかしい話ですが、子どもの頃は、このテレビでの映画解説者になりたい、と、結構本気で思ってたこともありました。好きな作品について、自分ならどんなふうに喋るだろう、などと妄想したり。しかし実際には先述の通り自分の好きな作品について喋れる訳ではないのだし、短い間に千差万別の映画作品の魅力をどう凝縮するのかというのも本当にプロの業でしょう。淀川さんの「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」に負けない自分だけのフレーズも、皆さん腐心して編み出しておられた。本当に映画を愛した者に与えられる椅子、というものだったのかもしれません。
 今の映画評論家も、これに代わる、評論家を評論家たらしめる何か、に取り組んで欲しいですね。