番組=CMか(イヤミな長文になってしまった)

 映画『インセプシヨン』を観に行きたくて仕方がない。クリストファー・ノーラン監督らしさが遺憾なく発揮された作品だと思うからだ。ところで・・・・
 この『インセプシヨン』が今のところ夏休み映画興行収入ダントツ1位なのだという。主演のレオナルド・ディカプリオの出演作品としても『タイタニック』を抜いてトップになったとかならないとか。観たい映画が好評価なのだから喜べばよさそうなものなのだが、ここにどうにも違和感を覚えてしまうのだ。なぜなら、もし感じている通り本作が監督の個性を強く打ち出した作品であるならば、どう転んでも万人向けの作品になっている訳がないから、だ。観てもいない者が内容を云々できる筈もない。が、本作がかくも人気を集めている理由についてはハッキリしている。それは、渡辺謙が出演しているからであり、なおかつそれを各メディアが連日大きく取り上げ、謙さんをゲスト出演させまくっていたからだ。否応なく、みんなの期待を盛り上げた訳だ。

 どうもテレビの番組自体が、CMになってしまっている気がしてならない。
 テレビドラマのスタート期には、各局イチオシ作品の出演者がどの番組にも出演しまくって宣伝することを強いられる。ゲスト出演コーナーのある番組は、ことごとくそうしたCMに終始している観がある。昔からこんなだったろうか? 番組のゲストって、そういう役回りだったっけ? いくらなんでもやり過ぎではないか? 番組の企画力がなくなってしまっているのではないか? 
 これが映画もご同様である。そもそもテレビ局制作の映画ばっかりになつてしまったからこの傾向も当たり前といえば当たり前だが、たけしのような存在でさえ例外ではないらしく、映画出演者からは一連のコマーシャル行脚に以前にはなかった心労をこぼす声が折々聞こえるようになった。
 宣伝するな、なんて言わない。そりゃ宣伝だって大事だろう。ハリウッドスターだって公開に先立って世界中を宣伝して廻る(どうもその辺りを下手に真似しすぎているような気がするのだが)。しかし、作品ひとつひとつを大切にした、それぞれの作品にふさわしい宣伝の仕方があるだろうに。作品の個性を無視し、半ば観客を「詐欺」にあわせるようにして、どれもこれもを如何にも家族向け娯楽作品かカップル向けデート作品であるかのように宣伝して客を集め、結果多くの観客が期待外れの失望を抱いて席を立ち作品の評判を落して終わる・・・・という例に、幾度となく遭遇してきた。作品の作り手や、それを愛する者にとって、これは最悪の遣り口ではないか? 「とりあえず最初に客がたくさん入ればいい」という下心しかないではないか。無論、地味に宣伝していたら観に来なかったような人が鑑賞し、思いがけず気に入るようなことがあれば、その人の世界も広がるし、作品にとっても幸福である。が、現実にはそういう少数例をはるかに上回る害悪ばかりを生み出しているようにしか見えない。

 番組を作る人にも、宣伝を企画する人にも、本来矜持というものがあろう。作品に対する愛情もあろう。そういう大切な思いをみんな踏み潰してしまうのがテレビをはじめとするメディアの世界であるならば、文化もここまで拝金主義に毒されたと言うべきだろう。