映画評論

 観たい観たいと思っているうちに見逃してしまった・あるいは見逃してしまうだろう映画が立て続いてしまっています。しょっちゅうこんなこと言ってますね。「第9地区」「シャッター・アイランド」「ショーシャンクの空に」(再映)「パリより愛をこめて」「グリーン・ゾーン」「座頭市 the last」ああ、何があったかさえ・・・・
 その上、宇多丸さんのラジオ番組を本にしたやつを読んで、いっきに観たい旧作がわんさと!
 この宇多丸さんもそうですが、何人か信頼している映画評論をする人がいます。むろんその人たちが勧める・逆に批判する言葉を全部鵜呑みにする訳はなく、前記の書籍でも反対意見の作品も幾つかあった訳ですが。
 じゃ何を信頼するか。
 もちろん自分の感覚と合う、というのはあります。自分がいいと思った作品をその人も評価していて、下らない、と思った作品を批判していることが多い。しかも理屈が納得できる。でも、それだけじゃないです。
 「いいな」と思う評論家は、例外なくこういう点があると思います。1.大変よく新旧の作品を観ておられ、しかも知識が幅広い。周辺的な(社会的な)勉強も必要とあらば積極的にしている。2.感覚だけでなく、常にちゃんと客観的理由を説明しようとしている。3.ときに欠点を認めつつも一方で得難い美点があればちゃんとそれを評価する。4.自身の美意識・価値観を明確にしつつも、常に「映画界」「映画産業」の発展への祈念が根底にある。ただの好き嫌い・印象を言ってるだけじゃない。だから時に構造的な問題点に対しては恐ろしいくらいの毒舌になる。5.ちゃんと自腹切ってる。6.日本公開前の(あるいは公開予定のない)作品まで良作を見つける努力を惜しまず、いいものは公開のために奔走さえする。7.積極的に作り手に接する・・・・そんなとこでしょうか?

 他の世界の評論、例えば文芸評論などでは比較的当たり前の話ばかりだと思うのですが、そうしておられる評論家がまだまだ少数派であるところに、映画そのものの芸術としてまだ二流に見られがちな原因の一端もあるように思います。
 ただでさえネット全盛を迎え「俄か評論家」が闊歩する時代です。いや、素人は自分の好き嫌いや印象評論で一向構わないと思うんですよ。自身の免罪符にするつもりで言っている訳ではないのですが、たとえば僕も頻繁に観た映画の感想をアップしていますけれど、意識して「自分は素人。これは評論じゃない、ただの感想」と思いながら書いている。個人的には「けなしそうなものならいっそ書かない」はなるべく守ろうとしているルールとして持ってはいますが。ただ、歩けば当るそうしたシロウト評論家がうようよしている時代だからこそ、プロの評論家には自負と責任感を持ってちゃんとした評論をして欲しいという願いがあります。ネットで拝読するプロ評論の中には、平気であらすじが間違いだらけ(それも毎回)なんて人もいる。評論以前です。神経を疑います。全く信頼できない。
 プロの方がこんな駄文をお読みにはなりますまいが、繰り返しお願いします。どうかご自身の言論に自負と責任感を。