あえて書かないことについて

 これは自分のことに限ったはなし。
 たとえば映画や本の感想を書こうと思ったときに、もしそれが気に食わなかった場合、作品や作り手の批判は強いてしないようになってきました。良かったところがあれば、それだけ書くようにしよう、と。
以前はそうではなかったのですが。ある意味判り易いですよ。異様に感想が短かったら、あるいは「観た」「読んだ」だけで、感想を書こうとさえしていなかったら、これは気に食わなかったんだろうな、と。
 きっかけは、ネット上である映画監督の悪口を執拗に書いているサイトを見たことによります。ものすごく不快だった。どうして、あえて「嫌いだ」「嫌いだ」とこんなにも罵倒をし続けるのか、理解に苦しみました。
 世の中のことについてだとか、そんなのは書きます。議論する価値がある、批判せねばならない、と思われることは。作品や作り手自体を評価せんがためのあえての苦言なども書きます。そうでないものは、書いて何か生産性があるのかな、と思うのです。その作品や作り手のことが好きな人が、読んで気分が悪くなるだけではないのかな、と。専門家はそれが仕事ですが、僕の場合所詮個人の感想に過ぎないのですし。
 ある意味、徹頭徹尾、感情をぶちまけただけのものはまだしも微笑ましい気もします。だって、誰にでも「好き」「嫌い」はあるし、それは理屈を超えているから。一方で、一見ちゃんとした根拠、客観的理由のある「批評」であるかのように書いているけど、その実よく読むと端っからけなすことのみが目的で、中身は空疎、ひたすら感情的、で案外自分が理解力がないだけだったり偏った価値観の押しつけでしかなかったり、というのに不快になるのでしょう。この手は、自分の醜悪さにさえ気づいていないだけ余計に不愉快です。
 酒飲みながら、とかなら喋りますけれど。個人が何を思おうが自由ですし、表現の自由は何人にも保障されてます。でも、ネット上とはいえ広く公開してカタチとして残すものには、不特定多数の人に対する発言者としての責任はあると思うんです。自分では筋通してると思い込んでても、実際そうでもないことは多いです。
 あ、ひと様のことはとやかく言ってはいけない。こんなの人に押し付けることではないです。実際、すごく面白い辛口批評はありますし。