箸のこと

 ぬんちゃく氏のブログで吉野家の「エターナル箸」について言及されている。
http://nuncyaku.blog.shinobi.jp/Entry/150/
 彼の言う、割り箸は環境破壊とは無関係であり割り箸を排除することはむしろ端材の処理に困ることになるのだ、という話は、僕も機会あるごとに口にしてきたことだ。併せて、大抵割り箸を生産しているのは高齢の方が細々とやっている小さな個人経営業者であって、割り箸を排除するとそういう方々の首を絞めることになるだけだということも、もっと多くの人に知っておいてもらいたいことだ。
 安物の塗り箸はぬんちゃく氏の言う通り不衛生だし、簡単に塗りがはがれた後はどんな有毒物質が箸から口に入ってくるかも知れたものではない。ぬんちゃく氏の言う「割り箸でないところでだけマイ箸を使おうか」というのは、大変いいアイデアだと思う。
 ここで「割り箸でないところでだけ」というのが、実は結構大事なところだ。
 少し前、新聞の投稿欄で、飲食業の方がマイ箸のお客さんに対して苦言を呈しておられた。マイ箸を使う方全てではないのだが、結構多くの人がマイ箸を使用した後それをお店に「洗って欲しい」ということを仰るそうなのだ。時間に余裕のある時はまあともかく、繁忙時にそういうことを言われるとものすごく迷惑だし、第一水も洗剤もじゃぶじゃぶ使うことを考えると、果たして箸を持参するエコ効果とプラスマイナスどれだけの効果があるのか。本当にこういうマイ箸を持ち歩く人にどれだけのエコ意識があるのか、といった内容だった。
 そう、マイ箸もエコを考えるなら使い方に結構工夫も配慮も要るのだ。
 実際のところ、こういうものの流行は、本当の環境保護意識よりも「オシャレ感覚」の方が優先しているのではないのか。無論何かをみんなに浸透させるために「オシャレ感覚」を利用すること自体は悪いことでも何でもない。が、実が伴っていなければ、結局知らぬ間に消費社会に利用されてしまっているだけのことだ。(話が大きくなるからここでは止めるけれど、ひたすら消費することによって国を支えてきたこの国の在り方というのは実は相当深刻に歪んだものだと考えている。中曽根行政以来のこのやり方が、大企業だけ太らせて庶民を疲弊させる今の深刻な不況状態の生みの親だという以上にあらゆる日本の問題点の諸悪の根源になっているのだと考えているが。)
 話を割り箸に戻すと、結局一時はやった割り箸を目の仇にするエコキャンペーン的風潮も、大した思慮もない「オシャレ感覚」の延長でしかない。今更それにのっかって優良企業のイメージを喧伝しようとする吉野家の感覚が理解できない。
 大衆に環境意識を喚起させるために何か旗印が必要なのはわかる。だが、その影で先述のように踏み潰される弱者がいることを考えると、我々はよくよくものごとを多面的に考えて行動することが必要なのだと考えずにはいられない。