天声人語3月16日

 (以下、今朝の天声人語より全文引用。http://www.asahi.com/paper/column.html
 夏ではなく春の季語だと知って、しゃぼん玉を見直した。詩歌では水遊びの域を超え、風との戯れになるのだろう。膨らみかけたのを春風にさらわれ、合点がいかずに玉を追う子が浮かぶ。〈しゃぼん玉息を余して離れけり〉堀越せい子▼肉眼で見える、最も薄いものの一つが石鹸(せっけん)膜だと物の本にあった。晴天下に漂う玉は日光で水分が蒸発し、膜がどんどん薄くなる。色の変化を楽しめる代わり、曇りの日より短命という。空中のチリに破られず、風に恵まれた玉だけが長く、高く舞う▼詩人の野口雨情(うじょう)は、そのはかなさを童謡「しゃぼん玉」にした。〈しゃぼん玉消えた/飛ばずに消えた/うまれてすぐに/こわれて消えた〉の部分は、生後8日で亡くした長女への鎮魂ともいわれる▼幼子の不幸から作品の発表まで14年あるが、そこは詩人だ。我が子と同じ運命をたどった幾多の命を、音もなく消える玉に重ねたのかもしれない。雨情が一家を構えた明治から大正期には、乳児の7人に1人が1歳の誕生日を祝えなかった▼戦後、赤ちゃんの死亡率は劇的に下がり、父母の心労は思春期からが本番である。チリとホコリが充満する世、大切に膨らませ、ストローの先で危なげに揺れる玉を案じぬ親はいない。様々な事情から、息を十分吹き込めずに手元を離れる玉もあろう▼壊れそうな膜の中に思いの限りを満たし、どこまでもキラキラ飛んでいけと願う。風よ優しく頼むと。この時期、教師たちも同じ心境に違いない。巣立ちの情景で、しゃぼん玉は春ならではの言葉になる。