年末雑感にかえて

 テレビを点けますと、年末恒例、熱血学園ドラマの一斉再放送でチャンネルが賑わっています。今期最終回を迎えたドラマにもやはり学園ものはあり人気を博していたようです。ドラマですからリアリティに欠ける部分も多いのですが、学ばされる場面もあったりします。
 振り返って現実の学校現場を考えると、もちろんそうそう劇的な事件がある訳ではなく、むしろ何事をも起こさない、最低限なすべき諸々のことさえやろうとしない無気力な空気の中での忍耐戦、消耗戦を闘っているという感じです。
 正直に言うと、学校という存在というかシステムというか、それがもう時代遅れになってきてしまってるのじゃないか、と感じるのです。修学旅行や学校行事はもはや生徒の楽しみではなく担任教員に無理やり付き合わされるものでしかなく、頭髪や喫煙などで厳しい生活指導をすると下手をすると家庭のほうから怒られる。いま三年生の担任をしていますが、残り僅かな高校生活を大切にしようというつもりで「登校日はあとたったこれだけ」という話をすると「じゃ後は全部休んでも大丈夫やん」という話になる。殊に進路の決まってしまった生徒は遅刻欠席が顕著になり、ズルや怠惰での欠席遅刻に家の人が「体調不良で」と電話してこられる事すら稀にはあります。緊急性の皆無な通院で式を欠席されることも。無論全員がそんなではないです。でも学校の優先順位が生徒保護者共に相当落ちているのは確実です。成績不振が深刻で保護者に来校を請うても、はねつけられたりすっぽかされたりもします。
 進路決定でも自力で頑張った子は大抵最後までちゃんと取り組みますけれども、実は相当数が受験苦もなく推薦であっさり決めてしまっていて、推薦で決めた子もみんなが本当に行きたいところを考え抜いて選んだという訳でもない。専門学校でも大学でも、生徒不足ですから年々推薦枠が膨張しており、びっくりするくらい入りやすくなっています。それで大学生の学力不足という現象も起こっているのですが。
 進学でも就職でも、野心がないなあとも思います。現状で確実なところを受験して上は狙わない。大手企業はしんどそうだからこじんまりとして家族的なところに人気が集中する。無論それも価値観ではあるのですけれども。ですから稀に落ちても落ちても諦めずに就職試験を受け続ける子や、学力では絶対に及ばない学校に他のアプローチで果敢に挑む子がいると本当に感動しますし助力は惜しみたくないと掛け値なしに思います。
 価値観の多様化ということが言われます。個人主義の時代とも言われます。しかしあえて言わせてもらえば殆どはただ自分勝手なだけで個を確立させて独自の価値観で生きている訳でもなんでもない。「枠に嵌められたくない」と指導を拒絶しても実情は「易きに流れる」という典型的な型に嵌っているだけだったり。本当に、大勢をひとところに集めて一斉に何かやらせて習得させようとしたり社会性を身につけさせようとすることが困難な状況です。でも、だからこそ、なのでしょう。そういうことが必要と感じられなくなっている世の中だからこそ踏ん張らなくてはならないのだし、古臭い道徳観や青臭い理想論が「カッコ悪い」と思われるご時世だからこそ我々はそういうことを語らなければならないのでしょう。学校なんて下らないと思っている多くの若者に、どれくらい「やっぱり学校って良かったな」と、ずっと後になってからでもいいから感じてもらえるように。要は周りにいる大人次第なんだと思います。時代遅れだからこそ尚更必要なのだ、と、信じて来年もやれることを精一杯やるだけですね。
 僕は熱血でも何でもないですが、やるべきことは一杯残っていますから、時に下らない愚痴を吐きつつもやり続けて行くことを改めて決意することでした。