再び、「スカイ・クロラ」

sa10kazu2008-09-17

 原作を読みました。驚きがふたつ。
 結構長い作品なのに、ずっと最後のほうまで読んでいても、映画が原作を殆どカットすることもなく忠実に展開していたことが判った。普通長編小説が映画化されるとき、よほど短い作品でも結構削り捨てないと二時間尺に収まりません。なのにこの作品は、無論多少の改変はあるものの、ほとんどそのまま。「これはすごいな」と思っていたらもうひとつの衝撃。ここまで忠実に再現しておいて、ラストが違う。びっくりしました。
 確かに、カンナミの性格もクサナギの性格も、考えればこの原作の展開のほうがあそこは自然だったという気がします。原作なのだから当然か。でも、そうすると映画の方のその後の展開がなくなってしまう訳で、それは相当にもったいない。映画を観てしまった者にとっては。ご覧になってない・お読みになってない方にはちんぷんかんぷんの書き方になってしまってますが、この差は本当に大きな「意味」の違いを生んでいます。ここに押井守のメッセージ性が明確になってくるのですね。
 映画版をこきおろしている意見の、指摘部分の多くが既に原作に存在しています。だから「押井の責任」とはやし立てるのはかなり筋違いであったことが判ります。一方で、「原作を読まないと背景がわからない」という指摘も当たっていない。原作もシリーズを通読すればよくわかるのかもしれませんが(これからそうして行くつもりではあるのですが)、本作単独で見るなら「説明不足」はそもそも原作も同様なのです。それは「あえて」そうしている。実にうまく原作の空気感を映像化していることが、比べればおわかりになると思います。そうしておいて、結末のこの大きな改変。・・・・改めて、この違いの意味を租借してみたいと思います。
 ちなみに今はポール・ギャリコ読んでます。だって第二作「ナ・バ・テア」店頭から出払ってるんだもん。ネット上でさえ古書しかない。注文したのがもうすぐ届くはずです。