文字の意味、モノとして在ることの意味

 教材で使っている教科書に掲載されている、カメラマン港千尋の「知識の扉」という文章は、普段から何ともなく「パソコンのキーボードで作文するのと手書きで文章を綴るのとでは、どうも違う気がする」と考えていた僕の感覚を裏付けてくれたようで嬉しい。教科書掲載部分の最後のくだりより。(以下引用文)

 文字が意味の媒体でしかないならば、インクまみれの手やシャツは時代遅れの産物である。文字は「染み」を作るものであることを、手を汚しながら身体で理解することの重要性は、まさしくこの点にかかっている。ペン先の角度、インクの染み、筆圧、視線の集中といった、それ自体かなり複雑な諸力が組み合わさり、意識と物質との相互作用の中から生まれるものが、「文字」であり「言葉」なのだ。そこをおろそかにすると、「創造」という最も重要な出発点を、子供の時代に逃がしてしまいかねないのではないだろうか。文字がそうであるように、それが印刷される紙や、束ねられている表紙といった本の物理的な構造にも、同様の検討を加えてみる価値はありそうである。(引用以上)