また『こころ』の話 今回は問いかけ

 授業ではいよいよ教科書掲載部分の終末に入っていくところです。つまりKが死ぬところまで。
 Kはなぜ死を選んだのか、という問題は、まあいろいろと解釈はあるわけですがこれはまあある程度考えれば方向性は出てくる訳です。でもわからないのは、「なぜ『先生』は死んだのか」。これはいまだに研究家の間でも諸説論じられる問題なのですね。教科書では作品のごく一部しか読まないわけですから、これだけでこの問題を導き出す訳にはいきません。しかし、触れずにおくこともまたできない。みなさんもたぶん一部でも漱石の『こころ』には触れておられることと思います。どうですか? なぜ先生は死んだのか。どうお考えになります? 僕は、「上 先生と私」「中 両親と私」の若き「私」との出会い、彼から過去を問い詰められたことが引き金である、という解釈にとても共感しているのですが。小説の中で「先生」自信が語るのは「畢竟時代遅れ」「明治の精神に殉死」というもの。もうひとつこれがピンと来ないのです。ちょっと職場の先生方にも伺ってみようとは思っているのですが、みなさんのご解釈も是非教えていただきたいものです。