軽さ軽々しさ

 紫さんにお借りした雑誌で本当に久し振りに赤川次郎の短編を読んだのだけど、作品世界のあまりの現実感のなさを改めて痛感した。
 ストーリーしか念頭にないのだ。全ては「筋」のため。それの何がいけないか、と仰るかもしれないが、筋を展開させるためだけに人物は喋り、行動するのを見ていて(読んでいて)ものすごく不自然に感じるのだ。ここでこういうことを言う訳がない。この場でこんな行動をする人はいない。そういう不自然さの連続に支えられて筋は展開していく。ストーリーはなるほどひねりが効いているのだろうが、それ以前に人間が人間として描かれていないから、読んでいてものすごく居心地が悪いのだと思う。ファンの方がこんな感想読まれたら激怒するだろうけれど、こういうことは別に赤川次郎に限ったことではない。テレビのドラマとものすごく感触が似ているなと思った。
 私立の伝統ある男子校に性別を偽って紛れ込んだ少女が、人知れず立ち去ろうとして、でもその行動はみんなに読まれていて学校中の仲間に囲まれてしまう。みんなが別れを惜しむ訳だが、そこに学校長まで登場して2年生のこの子に特別に卒業証書を授与してしまう。そもそもこんな場に先公なんか交えなければいいのに、と思うがそれは僕の好みの問題に過ぎない。それより、卒業証書というものはこんなに簡単に出してしまっていいものではない。だからこそ感動的だと言われるかもしれないが、あまりに軽薄でしらけてしまうだけだ。特別ゲストとして出演していた松田聖子に出演の華を持たせないといけなかったというのが実情かもしれないが。こんなことにひっかかるのは自分が教員やっているからだろうか。卒業証書の重みというものに対して。
 また別の例。フランスに行く社員研修の選考会で、模擬接客のフランス人試験官がバストの大きい小さいであからさまに態度に差をつけたのに怒って怒鳴りつけてしまった受験生は、自分が落選したことを確信する。けれど彼女は合格した。フランス語で喧嘩できるということは、それだけフランス語が身についているという証拠だ、といういうのが選考理由だったとか。しかし。たとえば実際の接客であったら、いかに客の方にあきらかな非があったとしても、客に怒鳴りつけては接客業は失格であろうに。「意外な展開」を狙っただけの(実際には以外でもなんでもなかったが)、なんて安直な話。
 どちらも原作は漫画。原作にこんなエピソードがあったのかどうかは知らない。漫画じゃないか、何を目くじら立てている、と思われるかもしれないが、こういう安直で都合のいい軽薄な描写はやはり見ないで済むなら見たくないものだと思う。だったら見なければいいのだけれど。これが高視聴率を誇る番組の脚本家の力量なんでしょう? 売り上げ部数の高い人気作家の実力なんでしょう? そう思うと気持ちが暗くもなるもんですよ。