ハンニバルから雑感

これはこれでまた

 「ハンニバル・ライジング」原作上下巻を一気に読み終えた。まあ面白かったとは思うけれど、完全に予想の範囲内だった。「怪物」と呼ばれるハンニバル・レクター氏の過去を暴いてその神秘性を消してしまってどうする、というご意見は最もである。その神秘性を保つための仕組みはいくつかあり、欧米にとっていつまでもいろんな意味で「神秘」である東洋ここでは日本の文化をレクター少年の精神確立の礎と設定したのもその工夫のひとつなのだろう。映画の方ではその主人公の精神的発展の描写が薄く、専ら後半の復讐劇に重きが置かれている、というから、さて映画の方を見に行くかどうかは微妙なところだ。ここまで来たら一応付き合わないと気が済まない気持ちではあるのだけど。一体どこまで作者トマス・ハリスの作家としての必然性から生まれた作品なのか、商業ベースに乗せられた代物なのか・・・・。
 さて次何か読もうと思ったら机上には少し読み返しただけで放置されていた「カジノ・ロワイヤル」の原作が。映画を観たあと原作を読み返したくなったもののすぐに放り出してしまっていたのだった。とりあえずこれ読もう、と再度手に取って、なぜすぐ止めてしまったのかよく解った。翻訳がものすごい直訳風なのだ。これは読み辛い。以前からよく翻訳の文章にはどうも馴染めないとこぼしていたけれど、それでも最近の訳はまだ健闘していたのだな、と思った。しかしこれは、一概に昔の翻訳者に力量がなかったとは言い切れない。
 いま往年の名作の新訳がブームであるらしい。有名なところでは村上春樹が出した「ロング・グッドバイ」など。我々を取り巻く言語環境が大きく変わった。使いこなす語彙も変わったし、以前はまだ日本に入って来ていなかった文化や概念も今なら難なく認識できる。一方で旧来の日本語殊に漢文語彙は著しく退行している。その辺りの言語事情を上手に取り入れての新訳らしい。
 ただし。現状にあわせて改めるべきは改める・・・・という筋論は、いま政府がやっきになって実行しようとしている憲法改正案の本音ではないので。世論の気を惹くいろいろなリクツ「時代に即したものに」「権利の明文化を」これらは全て釣り餌ですからね。やりたいことは別にある。
 写真は「もしもピアース・ブロスナンで『カジノ・ロワイヤル』を作ったら」。