映画 「エターナル・サンシャイン」

役者も最高

 映画観すぎやろ。と、とりあえず自分で突っ込んでおきます。しかも当たり率高い! 先日の「サイドウェイ」といいこれといい、いや、こいつは「サイド」を上回って我が心の1本となったかも。
 忘れたい記憶を消してしまってくれるクリニックがある。喧嘩別れした恋人が自分の記憶を消してしまったと知り、男は「それなら自分だって!」と一念発起。ところが・・・・ まああらすじはこんなところにしといたろ。
 曲者チャーリー・カウフマンの脚本としては、これまでで一番人口に膾炙するものでは。よってコアなカウフマン・ファンにとってはもしかすると少々物足りなさを感じるのかもしれないが、僕は決して味が薄まったのではなく、テーマというか題材がより普遍的になった結果バランスよく着地した作品なのではないかなと思う。「マルコヴィッチの穴」や「アダプテーション」も好きだけど、こいつは格別だ。もちろん監督ミシェル・ゴンドリーあってのことだろうし。
 言いたいことがまとまらないくらい溢れているぞ。何から書いたらいいのかな。ストーリーだって凡百ではないが、昨今の記憶や仮想現実を扱った作品の乱舞する中でこの作が抜きん出ているのはやはり発想。構成の妙と、ぶっ飛んだアイデアだ。まず構成が面白い。「アレまだだっけ」と思ったくらいだいぶ経ってからタイトルが出て出演者などの名前が出てくるオープニングを迎えるのだが、この長いプレタイトルがここに収まっていることが大切だったということは終盤になってわかる。途中から過去の記憶と現在、そして自分の記憶の中を彷徨っている最中である状態がごっちゃになってきてすこぶる混乱する。でもある時点から意味がわかってきて、最後にはちゃんとすっきり収まる。だから見終わってなお「わから〜ん」と言っている奴は自分が頭悪いだけ。作り手は恐ろしいほどちゃんと計算している。そしてアイデア。「記憶消します」はいまや手垢のついた観さえあるが、この使い方、そしてこの表現の仕方だ。役者の配し方に至るまで、「そういうテがあったか!」ときっと同業者は歯噛みの連続だろう。
 「記憶を消してしまいたい」という登場人物の発想や、最後にたどりつく「またやりなおそう」という結論には、反対だなと思う人も少なくあるまい。僕だって然り。でもそこに重点があるんじゃない。本当に、いろんなことを考えさせられる。運命を感じる? それもよし。ささいなことがこうも人生にかかわっているかと思い至るもよし。やっぱり好きになるんだな、などと苦い思い出をほじくるもよし。そもそも思い出って何なのと考え込むも、またよし。少なくともこれはネガティブな思想を描いた作品でないことだけは確かだ。
 クリニックの受付の子のエピソードが余計、と考える向きもあるようだが、そうは思わない。本筋とはあまり関わっていないかもしれないが(実はそうでもないんだが)、彼女の物語があることで、より相対化される真実があると思う。はあ。あと何が言いたいんだっけ?
 とにかくこれも、何度でも観たい映画だ。いや、きっと何度も観ないと味わいきれない。この日記読んでる人は観に行って欲しいんだけどなあ。