コームインの風当たり

数日前のニュースで、地方公務員の平均給与が初めて国家公務員の平均を下回ったと報じられていた。知らなかった。地方の方が(平均でとはいえ)高かったのか。
また、いわゆる「特殊業務手当て」というのが二重給与の隠れ蓑になっていて、これが一番多かったのが大阪であった、と報じられていたのは昨日だったか?
最近、身近からの公務員に対する風当たりのキツさを直に受ける機会が多い。大阪市はここ数年ずっと給料下がってるんだがなあ、と言ったって、勤め人である弟や自営業である父を見ていればボーナスというものが存在するだけで有難い話なのだということは痛感する。世間を襲っている不景気の強風を、実感なんかしてないと批判されると「そうかな」とも思う。温室と言われれば正にその通りである。
ただ、だからって目の敵にされたり、ラクでいいよねとひがまれたりするとやはり「ムッ」とするのである。少なくとも、この職に就くにはそれなりの努力をしてきたつもりである。
物理的には確かにラクなのだろう。前任校では月に一日休めればラッキー、という生活を続けていたが、それでももっとキツい仕事はいくらでもあるのはわかる。でも精神的にはどうかなあ。とても責任のある部分。一刻の油断もままならないデリケートな相手。社会的に与えられた「立場」というやつ。オンとオフの区別が非常に希薄。そんな仕事、教員じゃなくてもいくらもあると言われるかもしれない。それもよくわかっているが、本当に教員ですと言うと必ず返って来る「ラクでいいなあ」という反応(最近特定の人から立て続けに言われるから余計にこんなこと書こうと思うんだろなあ)あれはどうも納得いかない。「ヒマですよね」とか。
大体、どんな職種が大変だとかエライとか、またその逆だとかいう話自体が不毛なのだよ。自身が仕事しんどいとつい他業種にそういう目を向けたり言葉を発したりしたくなるんだろうね。僕はどんだけしんどい時でもそういう発想にはなったことがないのでよくわからんのだけど。あ、なりたくてなった仕事だもんな。
先日もそういうどの仕事が・・・・という話題があって、まあその時の結論は「勤め人が一番大変」。そりゃ勿論そういう側面は大いにあると思う。俺なんて勤め人ができるかどうか。でも、まああえて言えば一番大変なのは自営業者じゃないのかなあ。ずっと仕事もなく、あってもキツい上元請からたたかれてほとんど実入りがない父の毎日を見ていれば、つくづくそう思う。親父、すごい技術者なのに。でもこれには即座に反論があって、曰く「自営は脱税しやすい」。そんなん言われたら正直一路の親父は激怒するだろうなあ。あるいは「好きでなった仕事だろ」とか。それはどの職種でも言えるけどなあ。選んだのは自分だろ、っていうのは。
公務員全般について考えると、まあ一種の「サービス」を提供する立場なので、誰に対しても均等なサービスをいつでも提供できるために、いわゆる「営利」「競争」から切り離された保護された環境というのは必要だと思いますよ。サービスを享受する立場にとってもね。(その保護された環境に甘んじてサービスを怠るから責められるんだけど。「お役所仕事」なんて表現があること自体大いに反省すべきだな。)特に公教育という場はデリケートな部分があり、営利や商業主義的な実績というのが入り込んで来るといけないと思う。いま「問題教師の排除」というお題目のもと管理職に都合の良いように教員を管理する制度がどんどん侵食してきている。こわいと思う。どんな実績が「優秀な教員」という評価を受けるのか、というのも難しいぞ。すぐ結果が見える形で出る教育成果ばかりではないし、即効性があるほど実は悪影響やまやかしが潜んでいるワナみたいなものも実は多い。対して、何年十何年経ってやっとわかってもらえたり実をつけたりするものも多い。そういうものほど地味だったりするのだけど。おっと加熱した。誰に見られるかわからんところで。
教員の成績主義がなじまないという理由で、やはり私学というのはどこか問題を抱えていると思っている。と言うと「私学出身だがいい先生ばかりだったし居心地のいい学校だった」という反論を当然受けるのだが。もちろんそういうこともあろういくらでも。でも純粋に「生徒本位」を貫こうとする教員が私学では干されてしまうケースが多いのだ。僕も私学出身だ。いまはあの学校に行っていたことを良かったと思っている。がそれはマイナスの要素が僕を結果的に鍛えてくれたという思いもあるからで。無論担任をしてくれた先生は皆さんいい先生ばかりだったけれど。派閥争いとか、生徒にも見えてたしな。基本的に受験勉強さえ頑張ってればいいという教員もいたし。
結局教員の話に偏るのだけれど、まあ世間というか外の世界からどういう目で見られているかというのを知ることはものすごく大切だと思う。いち教員がどれだけ個人の日記で吼えようと、厳然たる世間の目というものはあるのだから。それも知らずに「先生でござい」と暮らしているのが、実は一番恐ろしい(愚かしい)。