年末雑感

というものを書いとくもんなんですかねやっぱり。と今思いついたんで、どっちにしたって大したことは書けやしませんが。


この一年を考えると、やはりこの日記を始めたことがものすごく大きい。これを始めることを強引に勧めたおりえに感謝したい。
この日記のおかげでトクしたこと。①いろいろと久し振りの人に会えた。ついに今年は会えずにしまった人もいるが、コメントを下さることでたくさんの人がとても身近に感じられた。会えなくても常にコミュニケーションがとれた。②書くと残る。あんまり読み返してはいないが、悲しいかな人間とは忘れる生き物であるから、これはありがたい。③そして、書くことは理解することである。ほぼ毎日何か書き続けること。それが考えることにもつながったし、「気付き」にもつながった。コメントがいただけるので、思いつきもしなかった考えに出会えたりもした。見ず知らずの方が書き込みをして下さったこともあり、やはりネットはすごいなあと思った。
次。
これは昨年辺りからの流れではあるが、今年も「出会い」「再会」の年だったと思う。いま僕は職場や同業者よりも外の知人友人の方が多い。飲みに行くのもそうだ。これは、僕の生来の内気さから考えればものすごいことなのですよ。もちろん同業者との交流もとっても大事だけれど、きっと僕は外の人たちとの付き合いで「バランス」が保てているのではないかなあ。
マイナスのこともあって、映画を観ない1年でもあった。特に後半。去年がたまたま久し振りによく観た年だったのかもしれないが。ただ、数少なくとも観た映画には恵まれたと思う。観たものは大抵ここで感想書いたもんな。
仕事の方では職場の構造的な難点にぶつかり続けた1年だった。担当科目はいわゆる教科書から離れて自分で作っていく性質のものばかりで、その点で「やりがい」と「生徒の勉強しなさぶり」双方の味を嘗め尽くした感じだ。でも勉強になったな自分自身にとっては。生徒に対する姿勢は、年とともに厳しいものになってきていると思う。特に今年はそれを自覚することが多かった。これは変化というよりは、やっと本質的な部分を遠慮なく出せるようになってきたということなのだろうと思う。実際もっと厳しくなるべきだと自分で思うもの。
出会いの年であったと同時に、決別の年でもあったろう。もともと何でもよう切り捨てられない質だけれど、そこに思い切ってメスを入れることになったという機会が多かったような気がする。
自分のことばっかりだ。まあ世間のことはNHKが「この1年」みたいなのをやってくれてるだろうからいいんだけど。ただ世相的にはひとつだけ気になっていることがあって、それは懐古趣味的な、と言うか、保守的な、というか。戦後民主主義教育は誤りだつた、というフレーズは使い出されてもう結構長くなる。もちろん反省は必要で、「これでよし」なんてお上の提灯持つつもりはないけれど、そのフレーズに続いて出てくるのが「昔は良かった」。僕自身はものすごく古臭い日本人で、若い頃から同世代の中でも古いものが好きな老けた少年だった。思考回路も純日本的。でも、最近の「ニッポンを見直そう」という風潮にはだいぶきな臭いものを感じてしまうのだ。古いものは大事にしなきゃいけない。でも、どう転んでも「昔は良かった」なんて社会にいい未来があるのかな。外交姿勢から韓国ドラマブームに至るまで、日本の世相は「昔は良かった」が濃すぎる。過去に対する反省はええ加減なくせに、良かったトコだけ見ようとする「振り返り」姿勢。いやだな。


後ろでは「涙そうそう」。いい歌だな。氣志團はもう終わっちゃった。ホンモノを見ると、ずいぶん違う振り付けでやつてたんだな、と判明。マツケンはちゃんと見とかなきゃ。修学旅行に向けて。
例年以上に「年末」「越年」という季節感から乖離しちゃってる。数年ぶりに親父の横で紅白見ようか。
中身も流れもデタラメな「今年を振り返る」でやんした。みなさま、よいお年をお迎えくださいませ!