逃げる酒のみ

作家山口瞳が雑誌「男性自身」に書いていた随筆をまとめて文庫化したものを読んでいた(「山口瞳『男性自身』傑作選―中年扁―」新潮文庫)。30代40代の男には沁みる文章ばかりなのでお薦めだ。
その中に「逃げる」と題した1編があった。サラリーマンの酒はわびしいという話なのだが、いろんな酒のみの逸話があり、最後に「逃げる酒のみ」が登場する。いつも途中で消えてしまうというのだ。その人物は多忙なあまり最後まで酒席に付き合えず、さりとて「仕事なので」と断ることもはばかられていつもコッソリ消えるというものなのだが。
これを読んでいて、確かにいるいる、と思った。途中で消える人、途中から来てまた気がつくといなくなっている人。以前はよく一緒に飲んだ知人で、やはりそういう人がいる。
彼の場合、それが誠意だと信じている。彼も多忙なので、もう当たり前のこととして飲み会をダブルブッキングさせて計画する。あるいはいっときだけ職場を抜け出して酒席に顔を出す、という設定をする。多くの場合彼自身が主催であったりもする。ほんのいっときでも、酒の席に参加して、酒を酌み交わすことが誠意だと思っている。
ところが実は、これが大変評判がよろしくない。僕だって好きではない。そりゃ勿論本当にどうしようもなくて、ある席から途中辞去して離れた宴席に馳せ参じることは僕にだって稀にはあるが、そういう時は「無理してよく来た」と言ってもらえる。それが彼の場合、ちょっと顔を出したらそれでいいだろう、というのがどうにも鼻につく。それに酒のみというのは、飲むとなれば腰を据えて(店は転々としても、だ)飲みあかしたいのだ。それがちょろちょろとされて、気がつくと消えていたりすると、なんだかとても軽く見られているような気持ちになる。
お勘定の問題もある。
特に僕は、彼に3年間ほど毎年「貸し」にしていた時期がある。大きな出費を僕が立て替えては、彼がほぼ1年かけて飲み代などでちびちび払うことで返済していた。当然正確な返済がされたのかよくわからない。毎年「ぼちぼちですかね」「まあこんなもんでしょ」で終わりになる。
よく仕事で交通費などを立て替えていたのが決済でいちどに戻ってくると随分トクをしたような気分になる。あれとちょうど逆で、だいたいは返してもらったのだろうが、なんだかソンをしているような気持ちが残ってしまう。
しかも飲んでいる時だから毎度正確な額を覚えていない。そこに彼の「逃げ」が重なる。先に出て行く時に彼と僕の大体の飲みぶんを置いて行くこともあり勘定を済ませて出て行くこともあるのだが、勝手に勘定を済まされてしまうとまた追加して飲むのに妙に面倒臭いことになってしまうし、多く共通のもと教え子が一緒だったりするので、彼らからどれくらい取るかは僕のハラ次第。余計に計算が曖昧になる。そういう、カネが絡むという事情もあって、途中で消える酒のみは概ね他の酒のみからは嫌われるのではあるまいか。
もう1人、「逃げる酒のみ」がおられた。しかしそのSさんの場合は全く事情が違った。Sさんは、飲むことはとことん最後まで付き合われた。
とことん飲んで、絶対ひとには払わせない方だった。他の皆さんは大抵「いやいけません」「そりゃ困るよ」と言ってなんとか金を払おうとするのだが、断じてそれは受けつけられない。僕はもうわかっていたから、Sさんと飲みに行く時は最初からゴチになるつもりで行った。「今日も甘えます」と言うと、嬉しそうに笑われたものだ。
しかしである。とことん飲んで、みんなご自身で払われて、もうベロンベロンになっていて、そして忽然と消えるのである。気がつくと「アレSさんは?」ということになる。翌日伺うと電車で寝過ごしたとか、道端で眠っていたとか、もうそれはたいがいなことになっている。きっと、そういうヨッパライの世話を連れにさせたくなかったのではあるまいか? ご自身がヘロヘロになるのは飲んだ限り必定であるから、カネさえ済ませばとにかく姿を消すことに決めておられたのだと思うのだ。
ひょっとすると、純粋に野生の帰巣本能が突如起動したのだったかもしれないが・・・・。ともかく、こちらは敬愛してやまぬ「逃げる酒のみ」であった。