お勉強

今日は市の高校の「夏季教研」というのに行ってきた。本当は昨日からの一泊二日。今年は参加する気はなかったのだが、組合の書記長から「アンタに発言してもらいたいことがある」と直々に言われ、嫌々今日だけ朝から参加。
僕の発言云々はこの日記ではどうでもよろし。もうひとつのお題、ケンポウ改正への動きについてのリポートが大変勉強になった。
なにせ古いものだから、現状にあわせて変えるべき所は変えるべき、というのは正論である。だが、お国が変えたい処はそんなトコではない。よく9条に関してはいろいろ言われているが、案外な処に恐ろしい落とし穴がある。
ということは多少は勉強していたつもりだったのだが、認識がまだ甘かった。
ハイここでクイズ。一般の法律とケンポウの相違点は?
井上ひさし氏のこの言葉が明確に物語っている。「ケンポウとは国民が時の政府にたいして常に発している命令である。法律とは政府が国民にたいして発する命令であり、常にケンポウが優先する。」
つまり、権力者を縛るのがケンポウである。
ところが。
今回のケンポウ改正案の大きなポイントのひとつに、前文及び99条の改訂があるのだ。
99条こそは、ケンポウ尊重擁護の義務を規定している条文である。あらゆる国権の長その他の公務員は、このケンポウを尊重し擁護する義務を負う、というものである。
これを削除しようというのだ。そしてあの素晴らしい前文を解体し、最後に文言として「国民はこれを遵守しなければならない」と改めようとしている。この恐ろしさについては解説は不要であろう。現在のカイケン論とは、つまりそういう代物なのである。
もうひとつの落とし穴は、新しいケンポウには「3つの義務と4つの権利を盛り込もう」、という唄い文句である。
4つの権利とは、①情報開示請求権 ②犯罪被害者の権利 ③環境権 ④プライバシー権
3つの義務とは、①非常事態における国への協力義務 ②家族相互扶助の義務 ③環境を守る義務。
「環境」だとか「プライバシー」という言葉は今話題になっているものだから一般的な受けがよい。だが実はこんなものは、現行のケンポウの援用でいくらでも保障できるものであり、わざわざ文言を追加する必要のあるものではない。そんなものを「釣り」にして、「ユウジ」の際にはお国に奉仕せよ、という方向に仕向けようとしているのである。これは前文の「公共の福祉」という文言を「公共の利益」と改めることによって、他者の人権によってしか制限されなかった筈のわが国の人権が、「コクボウ」の名のもとにによって易々と制限できるようにしようと目論む部分とリンクしている。
他にも危険極まりない箇所は多々あるのだが、これだけでもお国が本当にしたい「カイケン」がどのような性質のものであるかは明確。
いいですか、上手な「めくらまし」に騙されてはいけません。いつも権力者は華やかな話題や一見おいしそうなエサの裏で、危険な企みを押し通そうとしている。
(変なところでやたらカタカナ表記の多いことをお許し下さい。姑息なる保身行為です、ネット上での。)