欲望という名の電車

白黒のままの方がいいのにな

やっと順番がまわってきた。借りてる本なのに。読んで、すぐ映画も観た。
映画が好きだから、その名はもちろん随分前から知っていた。でもなんだか縁がなくて、テネシー・ウィリアムズ原作の映画は、ポール・ニューマンが監督した「ガラスの動物園」しか観たことがなかった。あれだって、その日初デートだった相手が「これにする」と言ったから観に行ったんだ。学生の時の話。
原典と映画に大きな違いはなかった。それはそうだ。テネシー・ウィリアムズ自身が映画用に脚色した台本だ。舞台を演出したエリア・カザンがそのまま映画も監督している。スタンレーは舞台と同じマーロン・ブランドが演じているし。あんな短い本でも若干カットしないと映画2時間に収まらないんだな、ほんのちょっとだけ省略されていた。一番大きな違いはラストのステラだ。ん〜、オリジナルの戯曲の方が残酷だけどリアリティがあるような・・・・。
まあそんな枝葉のことはともかく。
いろんな処で胸が痛くなる。どの登場人物にも共感させられる瞬間がある。ぐだぐだと説明なんかしないのに、短い描写でそれぞれの人たちの背負ってきたものや痛み、束の間の喜びなどが刺さってくる。ちゃちなセット撮影の、こんなシンプルな古い映画を、もっと今の映画作家たちは見直すべきではないか。もちろん僕は「映画でしかできないこと」に挑戦する実験精神は大好きで、そういう処があれば少々出来損ないの映画でも好きになるけれど、どうも最近CGだ特撮だ、というのに食傷気味になっている。
この俳優たちの肉体の、圧倒的な表現力、存在感と言ったらどうだ。一番圧巻はマーロン・ブランドが演じるスタンレーだ。これが本で読んでる以上に魅力的に迫ってきた。こいつなんて、相当のワルだぞ。とんでもねえ奴だ。なのに、なんでこんなに惹きつけられるんだ。そりゃ勿論ワルほど魅力的だけど、読んでた時には感じなかった共感がここにはあった。今は見る影もなくなったマーロン・ブランドだが、やっぱりすごいなこの人。この目、この口。こりゃ女はたまらんだろう。
勿論ビビアン・リーが演じた主人公のブランチも凄い。最初に出てきた時から、「あ」と感じる。この人、なんか違う。口を開けると止まらなくなるお喋りからしてもう痛々しい。それこそ生身の人間の表情ひとつで表現する極限のところで、崩壊していく精神を残酷に見せつけて行く。誰が彼女を責められよう。そして周りの誰を、責められよう。やりきれなくなる。最後のせりふ、「わたし、見ず知らずの方の善意にすがって生きてきましたの」・・・・もうここは堪らない。きっともうひと歳とって観ると、もっと胸に突き刺さるのではないかな。