センス、感性、才能

若い頃、才能というものに強烈に憧れた。大学生の時、自分にはひとより才能があるという幻想を打ち砕かれた。以来他人の才能に嫉妬した。 今は少し違う。特別な才能を持った、ということは、もの凄く大変なことだと感じる。
人間、実は持っているエネルギーなんてそう変わらないものかもしれない。普通の人というのは、普通に暮らすということにエネルギーの大半を使うのだろう。この世の中でバランスを取って普通に暮らすということは、それくらい大変なことなのだと思う。
一方で、何か特別なものを産み出せるという人は、持ってるエネルギーをその一点にギュッと集中して注ぎ込んでしまえるのじゃなかろうか? その結果としてこの世のバランスなんか取ってられなくなって、非常識なことをやらかしたり、生きていられなくなったりするのじゃなかろうか? そう思うようになった。
それならば、僕は平凡でよい。
勿論仕事をしている以上、それにつながる能力はどこまでも上げて行きたい。高い能力のある人には嫉妬する。でも何か特別なものを産み出すというポジションは、僕に与えられたものではない。
平凡に長生きして楽しいか?と聞かれるかもしれない。それはよくわからない。正直に言うと。でも、悟れない凡俗である僕は単純に死ぬのが怖い。
歳は同じでも全く持って生まれたセンスの違った鷺沢萠さんは、きっといろんなものが見え過ぎてしまったのだろうな。その肩に支えきれない、あらゆる不条理や哀しい摂理が。

僕はここで才能だとかセンスだとかいう言葉を不用意に多用してしまったけれど、おりえが日記で「感受性」と「感性」について実に見事に区別し理解しているから、是非読んでみて欲しいです。どの日のコメントでもいいので、紫色のついたoriemonの名をクリックすれば飛べますから。