万年筆箱⑤ ボールペン(2003年8月の文章)

職場で愛用のボールペン

 実用的な筆記具としてボールペンがある。
 万年筆のおかげで随分と筆圧は下がったが、どうしてもボールペンだと持った途端に強く握り締めてしまう。だから長文になると掌が疲れ果てる。
 だが、やはりフットワークの軽いのがボールペンだ。持ち歩きに気を遣わない。インクの乾くのを待つ必要もない。よって少々不本意ながら、仕事の場では主人公はボールペンである。それにしても、ボールペンだってやはり使い勝手の良し悪しがあるので、何本かを使い分けている。
 まず手帳にはペリカンの「マリンブルー」に水性のインク芯を入れたのを差している。油性の普通のインクより水性の方が好きなのは、やはり書き味がより万年筆に近いからだろうか。
 そして職場の机には2本のボールペンを置いてある(勿論オマケでもらうような使い捨てのボールペンも何本かペン立てに立っているが、これは他人に貸すくらいしか出番がない)。1本は友人から贈られたファーバーカステルの牛柄模様のボールペン。軸も芯も太いので、握りやすいし書きやすい。おまけに柄がかわいらしいので、生徒や若い同僚からの評判も大変よろしい。職場に着くとすぐこのボールペンを胸ポケットに差すのが習い性になった。−実はそれまでは自宅から胸ポケにボールペンを差して出てきていたのだが、とんでもなく高価な代物を自転車に乗っていて落として失くしてしまってから、胸ポケットにペンを差して通勤するのは止めてしまったのだ。一方で職場に着けば自分の席を暖めているヒマなどないからボールペンは常備していなければならない。選ばれたのが軽くて書き味バツグンの牛ちゃん、という訳だ。
 もう1本机に置いてあるのは以前東京書斎館で手に入れた妙なヤツ。CGデザイナーの手作りとかで、ブラスの削り出しの1本もの。ギザギサ・デコボコしていて形は面白い。が、握りにくい。あまりこれで長文は書きたくない。しかし、とにかく珍しいので置いてある。工業科の先生はさすがに高度な技術製品であることがおわかりになるようである。それより何よりこのボールペンは芯が極細なので、細かい字を書くのには向いている。この2本で例えばテストの解答用紙を作ると大変便利が良い(未だにエクセルを使えないせいで、解答用紙だけはパソコンではなくワープロか手書きで作っている・・・・)。外枠は太い線・中仕切りは細い線にするから、この2本を使い分けて書くとキレイに出来上がる。製図をする人が聞いたら笑われるような話だろうけれど、テストの解答用紙ならこれで充分だ。
 そしてこれらとは別にもう1本使っている。何かフと書き留めたくなることがあるのはなにも職場に居るときだけではない。そんな時のために、ズボンのポケットに入れられるような、ちっちゃくて頑丈なボールペンが1本欲しい。夏服などで胸ポケットのないような折にも、そんなパンツのポケットに入るボールペンがあるととても便利だ。(商売柄の特殊性などから言うと、修学旅行なんかの時にこういうものが重宝する。勿論ご大層なペンなど持参できないし、少しでもフットワークを軽くするため手ぶら・省荷物化に勤める。ペンケースさえ邪魔だ。と言う時に、パンツのポケットに入るペンというのは理想的である。)
 などと思っていた時に、これまた過日東京に行った際、書斎館でいいのを見つけた。M.Yレーベルが作
っているちっちゃなボールペン。シンプルで下手に服などにひっかかる部分もないし、革の紐もついていて首からぶら下げる事もできる。実は小さいボールペンは以前から持っていて、デルタの「ドルチェ・ヴィータ」(名前に惚れた!映画ファンならばおわかりになろう)とコンウェイ・スチュワートの「ディンキー」(こちらはチビ万年筆とセット)だ。どちらももちろんいい。これまで、それこそ修学旅行などに連れて行った。が、クリップなんかがひっかかることがあるし、少々ハデでもある。今回のヤツは本当に潔いデザインをしておる。
 ボールペンくらい何でも良かろう、と言われるだろうが、その一方で誰しも書け具合や使い勝手にちっち
ゃなストレスが常にあるのではなかろうか? すぐ自分のボールペンを失くして、すぐ人のをとる(で、そ
れも失くす)ひとが職場にひとりくらい必ずいる。僕だってとんでもない大失態をしてヘコんだこともある
が、基本的に愛着を持って選び、使っている道具は粗末にはしない。あっちでもこっちでもやたら他人
から借りてばかりで不自由も気詰まりも覚えない方には、全く無縁のおはなしである。

 (ボールペンについて、もうひとつ)
 僕はよく好きなひとに贈り物をする時にボールペンを選ぶ。まあ自分が欲しいからなんだろうが、プレゼントする時に選ぶものなんて、誰だってそんなもんだろう。
 以前は万年筆を贈ることもあったのだが、高価になってしまう(結果あまり良いものを贈れない)し、現実問題として日常的に万年筆を使ってくれる人はあまりいない。ボールペンなら、誰だって日常生活の中で使うものだろうし、万年筆よりずっと安価でいいものがお贈りできる。ナガサワに行けば選びたい放題。相手のパーソナルからどんなペンにするか考えるのも楽しい。(お勧めは大阪のカトウ・セイサクショ・カンパニー。かつてイタリアヴィスコンティペン軸を作っていた実績のある美しいセルロイドペンが安価に手に入る。)
 ところが、あらたまって贈り物としてもらった「大層な」ボールペンは、どなたもやはり大事にして下さるようで、ところが大事にされる余り、大事にしまってしまわれて普段使いにはなさらないようだ。僕としては普段に使えるものを、と思ってお贈りするのだが、やはり大袈裟になってしまうのだろうか。僕なんて、「いいものこそ日常で使わないともったいない」をモットーに、ペンでも服でも「いざという時のためにとっておく」ということをしない。現に仕事のノートを作るのに使っているのは、日本に数本しか入っていない万年筆だ。