万年筆箱④ 書き味(2002年10月の文章に2003年7月加筆)

普通なら必ず出てくる「ああ、こんな書き味が!」という描写が一向出てこない。やはり一番感動したのは最初にセーラーの長刀研ぎクロスポイントを書かせていただいた時だった。本当に、ペン先を紙に置いた途端、勝手に滑り出したのだ。せせらぎに手を任せているような、とでも言おうか、そんな感触であった。これと全く同じに感じたのがエイチワークスのチタンペン(フルハルターバージョン)。大袈裟でなく、感嘆の声が口から漏れた。ただこれらのペン先、あまりに線が太くなる。原稿用紙でさえ字が収まらない。それじゃ非実用的じゃないか。が、その点に関してはフルハルターの森山先生から含蓄あるお話を伺って少し考えを改めた。線が太ければ字は大きくなる。当然、ハガキなど使っても書ける文章量は限られてくる。僕はついぐだぐだと文章が長くなるタチだから極太ペンの使い手にはなれぬ−そう考えていた訳であるが、これは実は逆ではないか? 極太のペンを使っているうちに、そのペンで書ける長さの文章を書くようになるのではないか? 道具が人間を作る・育てる。そんなことを森山さんは仰ったように感じたのだった。ペンが字を、ひいては文章を変えていくのだな、と思った。僕もそんなペンを使って、いつかふんぎりの良い文章の書き手になりたいものだ。
 それにしても大抵の場合は、店頭で試し書きした通りにはペンは滑ってくれないものだ。普段使いするうちに書き出しのカスレが気になったり、数日使わないとインクが出なくなったり、硬すぎたり軸が軽すぎたり重過ぎたり。今は幸い良いペンに落ち着いているが、本当に納得できる良いペンに巡り会うまでには、本当にたくさんのペンを握ってきた。ここで言う「良いペン」とは勿論「自分に合うペン」の意味である。前述した通りひとによって「書き易い」と思うペンは様々。書き味と一言で言ったって、するすると流れるような・柔らかに力を吸い込んでくれる・強弱アクセントが楽しめる・弾き返すような力強い・ざりざりと手応えがある・・・・本当にひとによってマチマチ。だからこそいろんな個性のペンメーカーがあるのだろうし。そういったペン先の個性に加えて書き味を決定づけるのが、筆圧の強弱。ペンを持つポジション。筆記角度。そして書くスピード。これら全てを総合して自分に合ったものと巡り会うことは、実に困難なことである。
 しかし一方で、ペンが人をも変えて行く。先ほどの「太字のペンが文章を凝縮する」という例もそうだが、そもそも筆圧が強くて難儀をしていた僕も、万年筆のおかげでだいぶそれが緩和されてきた。少しずつではあるが。それに、太字嗜好からか、徐々にペンを持つ位置、角度も変化してきた。これは過日森山さんかが僕が字を書くのをご覧になっていて仰られ、それで気づいたことだ。ふたつの話は全く逆の方向の話のようであるが、これが表裏一体なのだから面白い。まだまだこれからいろんなことが味わえるような気がする。