万年筆箱③ 来歴(2002年10月の文章)

 高校進学祝として祖母からもらったのが、万年筆を持った初めだった。パイロットのステンレスマット仕上げ、シャープペンシルとのセットだった。今でも持っているが、これは落としてしまってインクが出なくなった。
 次は大学に入ってから。当時付き合っていた女性からもらった。これもパイロットの黒軸のもので、ローマ字で名前が入っていた。さすが文芸部、渋いことをする。これと、五〇〇円くらいで買ったいかにも安っぽい白いプラスチックのを併せて使っていたけど、むしろ後者の方が書き易かった。当時から原稿は書いていたので重宝した筈なのだがあんまり覚えていない。いつの間にか使わなくなってしまい、確か卒業論文は使い捨てのボールペンで書いた。手を休め休め青息吐息で書いたのでこれはよく覚えている。ペン自体はこれまた二本ともちゃんと手許には残っていた。
 しばらくの空白期間があり、今現在の過熱症状の発端になったのは四年前の雑誌の特集だった。何の気なしに買った雑誌に限定万年筆が大々的に取り上げられていた。殆どそれまで買ったことのない雑誌だったのだ。人生何処に落とし穴があるかわからない。とりわけ、イタリアのメーカーのきらびやかな品々の写真がズラリ並んでいるのが目を奪い、心がぐらぐら動かされた。居ても立ってもいられなくなった。幸か不幸か、久し振りに会った大学時代の友人にモンブランの149を見せびらかされてまた拍車がかかった。なぜか折りよく(いや、悪しく)文具や万年筆の大変詳しいムックなども出て、もうこれは一本買うしかない。その頃はまだ金銭感覚が正常であったから、十万円を超えるものなんて当然対象外。選んだのが我ながら渋いと思うのだが丸善のオリジナルであった。ひとの文章からどうせ万年筆を買うなら太字がいいと思っていたから(これ正解)そのつもりだったのに、神戸元町丸善は思いの外品物がなく、店頭品の中で見た目軸色の良いペン先F(細字)のものを購入。ところがそこで店員が、もう少しすると梶井基次郎というレモン色の新作が出るという。梶井基次郎! 檸檬! どうしろと云うのだ! これが頭から離れない。待てたった今大金はたいて念願の一本を手に入れたところじゃないか。万年筆なんて一本ありゃ充分じゃないか。・・・・何人ものぼくが一斉に頭の中で喋る。
結局、出たら買ってしまった。ただしこれには未だ一度もインクを入れていない。そしてそして、気付けはそれとはまた別にペリカンの四〇〇を買って暫くは二本を併用していたが、ペリカンの方は仕事を得て韓国に赴く友人に餞別としてあげてしまった。彼女に似合うような気がしたから。有り難いことに、以後彼女はそれを愛用してくれている。
こんな調子で、万年筆は一本、また一本と増えて行く。ずっと、やはり見た目の美しさ、限定品という付加価値に惹かれた。デルタ、ヴィスコンティといった新興イタリアメーカーを中心として沢山のそうした限定万年筆が次々と売り出され、眩惑された。また、丸善やら阪神百貨店から新発売やらフェアやらと案内が引きも切らない。どんどん「ここまでなら買おう」という上限が(本数も予算も)釣り上がる。たとえばイギリスのコンウェイ・スチュアート。昔の老舗が復興したとかで、それは美しい万年筆を出した。もとは庶民的なメーカーだったようだが、今度のはカゼインとかいう特殊な材質を使って長い時間かけて作ったという。もう写真見ただけで、「もしこいつに出会ったら買おう。でも多分大阪じゃ無理だ・・・・」こう思ったものだ。ところが阪急がイギリスフェアを催した時に、出会ってしまった。買いましたよ。ブルーティファニー。ボールペンとセットなのを万年筆だけ売ってもらった。だってセットじゃとても買えない。あるいはモンブラン。作家シリーズというのがあって第一号ヘミングウェイに憧れつつも、これはもう店頭にはないと言われつつふらふらと捜し求めた。その途上にまたいろいろと余計なものを発見する羽目になる。(最近になって東京でみつけましたよ。でも三十万だと言われて、買えますか? さすがに・・・・)それからデルタのフェデ
リコ・フェリーニ。書き味はこのメーカーらしく少し硬めだ。軸の太さ重さはよろしかった。名前から歴然たるように、かのイタリア映画の名匠にちなんだ作品だ。キャップには三枚の、映画から切り取った写真が精妙に色付けされた純銀プレートがしつらえてあるのがどうにもたまらなかった。ただでさえ僕は無類の映画好きで、しかもベストワンは他でもない、フェリーニの「8 1/2」だと公言している男なのだ。これが買わずにいられるものか。ああしかしキリがない。
そうこうするうちいろいろな店を知り、本を知り、プロの匠にもおめもじ叶った。結局はペリカン・セーラー・モンブラン(この順番は序列にあらず。語呂です、語呂)だな、という処に行き着いた。最初にペリカン買ってたじゃないか、てな話だ。まだ試してみたいペンはあるのだが、とりあえず今使っているものには満ち足りている。いろいろに使い分けて七本も併用しているが、いづれもその用途に適って充分満足させてくれている。たださすがに忙しいのであんまりペンを握る時間がない。もっともっと使い込んで味のあるものにしたいのだけれど。それがつらい。
なんのオチも含みもありません。ただ遍歴をつらつら思い返しただけです。