いまさら芥川賞の話

 『芥川賞の謎を解く 全選評完全読破』鵜飼哲夫(文春新書)という本が面白かった。「謎を解く」という表題はセールスを意識した出版社側の与えた題名かなとも思う。少し内容は違うという気がしたから。副題の通り第一回からのすべての選評を読破し、インタビューなども加味しての、芥川賞とは? 芥川賞の選考とは? といったところに切り込む内容。
 この賞の独特なところは、最終選考で現役作家複数が議論をして決定するというプロセス。それから募集形式ではなく、期間内に発表されたものの中から独自に選んで選考する、という形式。結果発表と共に全選考委員が選評を発表する。これが面白い。最終選考された作品でも、個人的に気に入っていなければものすごく辛口に批判する。人によって評価が全然違っていることもある。
 いくら高名な作家でも、見ず知らずの人にこれだけ酷な評を下すのは、並大抵のことではない。そこには作家としての全プライドと責任感が現れる。ということを、上記の本を読んでよく理解できた。
 芥川賞はその知名度の割に意外と賞の性質が理解されていない部分がある。
 まず第一に、これは新人賞だ。ということ。
 もう十年以上も前の話だが、金原ひとみと綿谷りさが同時受賞した第130回。共に二十歳になるかならないかの若い新進女性作家ということで世間を賑わせた。僕は当時はよく通ったあるお店で、そこの常連の一人に絡まれた。僕を高校国語科教員とご存じで、どうしても誰かに言いたかったことを吐露されたのだと思う。曰く「文学と『学』の字がつく以上学問だろうに、話題性だけであんな未熟な新人に権威ある芥川賞を与えるとは何たることか」と。言葉遣いはもう昔のことで覚束ないが、まあそういう内容です。ふたりは芥川賞受賞最年少記録も更新していた。
 しかし、前述のとおりこの賞は新人賞なんです。世間では意外とそれが知られていなくて、ただ「芥川賞直木賞は日本で最も権威ある文学賞」というイメージだけが先行している。
 本書を読むと、選考委員の矜持として、「これが新しい文学」というものが模索され続けて今日に至っている。だから選考に当たっては冒険も実験もある。時には間違いもあったかもしれない。逆に現在の評価から鑑みて受賞を逃している作家に「なぜこの人が受賞してなかったんだ?」という大家も結構いる。第一回候補だった太宰を筆頭に、中島敦から、最近では村上春樹にも賞を与え損ねている。そういうこともあるけれど、常に選考委員たちは激しく対立しながら「新しい文学」の騎手を探し続けていた。で、このことが次の点にも関わってくる。
 二点目として、選考結果によっては「まあ話題を提供して出版不況に花を添えるのだね」というようなこともよく言われるが、決してそんな生ぬるい選考がされているのではない、ということ。この点、本書を読んで改めて痛感した次第。
 選考委員は雑誌や出版社の売り上げのことなんかてんで考えてないと思う。とにかく自身の文学観をかけて、芥川賞にふさわしい新人を模索し続けている。だから結構「該当作なし」なんてことも起こる。
 今回話題となったお笑い芸人又吉氏の『火花』の受賞でも、やはりこれまで同様の毀誉褒貶が世間を賑わしているから、是非とも本書を一度読んでみて欲しいと思う。それから当然のこととして、読んでもいないのに『火花』受賞について云々するべきではない。僕自身未読であったので、現在読み進めているところ。読者個人によって勿論評価・感想はいろいろであっていい。ただ、今回の受賞は話題性ゆえでもなければ単なる偶然でもない。芥川賞はそんななまっちょろいものではない、と知って欲しいです。受賞者を大きく伸ばしもし、時には殺してもしまう。そういう意味でも、改めて、芥川賞恐るべし。と知りました。