昔日の面影は過たず

 「最後の一杯に、マッカランで何かないですかね」という、非常にアバウトな注文の仕方を、よく知って貰っているバーではやります。
 この日いくつか出て来た中にあったのは、1962年蒸溜の17年もの、という大変なオールドボトル。かつて日本未輸入の希少ものをマスターが東京の某店で発見して連れ帰ったものとか。しかしボトルも古いが開栓からも2年以上経っており、瓶の底に僅か残ったウイスキーが飲むに堪える状態であるかどうか、マスターも判然としない非常に危険なモノであるとのこと。同席のモルト通に違いないお客さんは一年前にまだ半分以上残っていた状態でお飲みになったとか。それはもう絶品であった、と。
 ハラを決めました。「分け合いませんか?」「じゃ、お別れ会にしましょうか」
 2杯に少し足らないくらい。マスターのグラスから更に隣席のお客さんへとおすそわけ。
 「う〜ん」
 暫しの無言。
 えも言えぬ芳醇高貴な香り! その広がり! そして、枯れた口当たり。枯れた、と言うべきか? 実に穏やか。静謐。
 マスターひとこと。「昔は、美味かっただろう! と判りますね」
 僕はものすごく愛おしかった。いや、敬意を抱いた。
 かつて猛烈にモテたであろう、老紳士。あるいは老淑女。昔日のエネルギーはないが、替え難い品格を備えている。昔と今と、どっちがいい? と問われて、「そりゃ若い頃の方が」とは言い難い、そんな魅力的な人が稀におられますよね。そういう味です。
 一瞬、映画『ラウンド・ミッドナイト』でほんの僅かに歌だけ流れた、チェット・ベイカーが思い浮かんた。色男で鳴らしたジャズ・シンガー。晩年は散々な生活に容色も歌声も見る影なく衰えたのに、あのときの歌には若さとか色気とかでは言い得ない惜別の味があった・・・・
 こんな歳のとり方をしたい。そう思います。最盛期の味わいは知る由もありませんが、今このときにしか味わえないとてもとても貴重な瞬間に居合わせられた、と思いました。

 「記念撮影!」ボトルを写真に収めようとカメラを出すと、何とボトルを下さると言う! 現行品などは空けた機会にボトルを頂くこともあって、それでもとても嬉しいのに、これは希少にもほどがある逸品。同好の者としてわかりますが、絶対にボトルは欲しい筈。それを「こういうタイミングの特権です」と、惜しげもなく下さった。「ただしオークションに売らないで下さいね。」空のボトルでも相当高値がつくものらしい。
 そりゃお金は喉から手が出るほど欲しいですが。売るはずがない。このお店に出入りできなくなる方がよっぽど痛い。
 かくして、ボトルは我が家に飾られています。1962年のマッカランというのは、映画『スカイフォール』で憎い演出の道具として登場した(あれは50年ものですが)。そんな思い入れもあるビンテージです。