再読『スカイ・クロラ』シリーズ

 映画公開時に、映画鑑賞後原作シリーズを通読した。その時の感想はすぐにアップしたけれど、読み返すと随分理解が甘かったことを痛感する。
 大変読書家の生徒がおり、夏の読書感想文課題に『スカイ・クロラ』を選んで書いたものを見せてくれた。それに刺激され、一念発起、シリーズを再度通読することにした。読み直してみて、前回読めていなかった点がかなり判った気がしている。それでもまだまだなのだが、「どうして前はそんなふうに思ったのかな」と感じるくらいには「読めた」と思う。
 そもそも何がそんなに「読めない」か。
 『スカイ・クロラ』はシリーズ第1作だが時系列としては最終話(5話)に当たる。語り手はカンナミ・ユーヒチ。以下、
ナ・バ・テア』(第2作・1話)語り手クサナギ・スイト。
ダウン・ツ・ヘヴン』(第3作・2話)語り手クサナギ・スイト
『フラッタ・リンツ・ライフ』(第4作・3話)語り手クリタ・ジンロウ
クレイドゥ・ザ・スカイ』(第5作・4話)語り手 ?
スカイ・イクリプス』(番外編短編集)語り手いろいろ。
 ということで、4話の語り手が最後まで明記されないし、混乱させられる。これが本シリーズ最大の謎。
(ここから先は、シリーズ既読の方のほうがいいかと。というより、読んでる人でないとワケわからんし興味もないでしょう。)
 エピローグで語り手はカンナミ・ユーヒチと呼ばれているのだけれど、その直前までは前作で負傷し入院したクリタ・ジンロウだと思いこんで読んでしまうようになっている(途中アレ?と思うのだけれど)。5話『スカイ・クロラ』でカンナミに向かって、あなたはクリタだったのだ、と言う人物がいるので、なおさらそう思ってしまう。
 ところが今回は、「そうではない」とハッキリ判った。これはクリタではない。クサナギだ。ミスリードが仕込まれていてそこはやや不自然だが、むしろどうして前回そう判らなかったかな、と思うくらい明白に読めた。
 今回判った事情として想像するに、
1.前回は最初に映画『スカイ・クロラ』を見てこのシリーズに入ったから。映画は原作が『ナ・バ・テア』までしか発表されていない時点で作られており、原作とは違うテーマを持ち、明らかに「カンナミはクリタだった」という解釈で作られていたから。
2.原作シリーズを執筆順、つまり『スカイ・クロラ』から読み始めたから。前述の通り登場人物が「カンナミはクリタだった」とか「クサナギミズキはスイトの妹じゃなく娘だ」とかいろいろ言う。その人物の解釈でしかないのに、読み手もそれを事実として刷り込まれてしまう。これも作者の仕掛けなのだろうけれど。今回は時系列順に読んだ。
3.前回よりも通読に時間をかけなかった。そして何より、これが二度目の通読だった。たくさんの細かな伏線に気づき、あまり失念せずに読み通せた。
 これで本当に、このシリーズはクサナギスイトの物語だったのだということがわかる。ただそうなると最終話『スカイ・クロラ』がわからなくなる。クサナギスイト同士の物語ということになる。実は『スカイ・クロラ』でのクサナギスイトはクリタジンロウなのかなという考えが浮かんで『クレイドゥ・ザ・スカイ』と『スカイ・クロラ』を更に再読してみたのだけど、それもどうも違うような気がする。まだまだ謎は尽きない。
 本当は、そういう謎解きは作者としては本意ではないのかもしれない(もちろん作者の中には明確に「どういうことか」というのはあるのだろうが)。とにかく、キルドレという特殊な少年たちの感覚を描いているので、それはどれが誰ということよりも、彼ら共通の感覚世界が感じられたらいいのかもしれない。もちろん個人個人別の個性を持ってはいるのだけど、不可避的に共有している感覚があって、それをひたすら表現しているような気がする。そこに映画監督押井守は独自の(原作者の思いとはほぼ正反対の)テーマを見出し、自分の作品にしてしまうのだから面白い。
 偉そうな物言いをしているけれどまだまだ見当違いな読みなのかもしれないという思いもある。またきっと読み直すのだと思う。