教員ができることと言えば

 全力をあげて、カンニングができない環境に近づける努力をすることしかないと思います。
 ちょっと「カンニングくらい大目に見ろ」という論調が強くなり気味になってきましたが(相も変らぬマスコミの興味本位の暴力については少し議論から外していますが)それに首肯はしかねます。誠実に取り組んでる人間に対しても義理がある。一方で、人間誰しもカンニングできるものならしたくなるという真理は、痛いほどわかる。僕だってできるもんならやりたかった。だから。
 「あ、これならカンニングできそう」と思えば誘惑にかられるのは当たり前です。「こりゃ無理だな」と思ってしまうような環境を作るのが、義務です。大学の大部屋では難しいのかもしれません。でも、警察機構に訴えるより先に、学校には取り組むべきことがある。